事実は必ずしも真実を伝えない。【#読書の秋2021『六人の嘘つきな大学生』を読んで】
「全員で内定を勝ち取る」。同じ目標に向かって力を合わせていた同志は、一本のメールによって、ただひとつの椅子を争うライバルへと変わる。
新進気鋭のIT企業への就職を目指し、最終選考に残った6名の就活生。全員の内定もありうるとの採用担当者の言葉を信じ、最終選考の準備を協力して進める彼らは、その過程で互いに尊敬する仲間となっていた。
ところが、直前になって選考方法の変更が通知される。内定者は6名のうち1名のみ、しかもその1名は彼ら自身で議論の上選出せよとのこと。
戸惑いをそのままに迎えた選考当日。会場で謎の封筒が発見される。中には各人の裏の顔を暴露する文書が。状況から、封筒を用意した犯人は自分たちの中の誰か以外には考えられない。
敵同士になった仲間。裏の顔を知り、揺らぐ尊敬と信頼。生まれる疑心暗鬼。
犯人は誰か。そして、誰を内定者として選出すべきか。あるひとつの結論が導き出される。
「すべての伏線を見破れ。」という帯のフレーズに惹かれて手に取った『六人の嘘つきな大学生』。ミステリを読むのはとても久しぶりだ。二転三転する展開。つぎからつぎへと明らかになる伏線。期待値を大きく上回るおもしろさだった。
「よそ行きの顔」で就職活動を戦いながら、他者の「よそ行きの顔」に翻弄される就活生たち。程度の差はあれ、社会ではほとんどと言っていい人がよそ行きの顔で生きているのだと思う。
同様に厄介なのが、「事実は必ずしも真実を伝えない」ということ。ある人が見せる姿はその人の一部でしかない。それが「よそ行き」ではない本当の姿だったとしても、その人のすべてを語るものではないのだ。
自分の目で見たものを信じる、という信念。自分の目で見たものだけで判断を下さない慎重さ。矛盾するように思える両者を真摯に貫くことが、本質につながる道となるのかもしれない。
「事実は必ずしも真実を伝えない」のは、文章も同じである。先ほど「二転三転する展開」と書いたが、それは犯人と思われる人物がころころ変わるということだけではない。ページをめくるごとに、さまざまな人物やものごとに対する心証が、オセロゲームのように白から黒、黒から白へとあっさりと変えられてしまうのだ。イメージというものはこんなに簡単に変わるのか、と驚く。
その場にいたとしたら五感で受け取るであろう情報のすべてを、文章が描くわけではない。何を描き、何を描かないか。それによって、読む側の印象はがらりと変わる。
これはフィクションの物語なので、「そうきたか」「やられたー」と、純粋にミスリードを堪能すればよい。ただその一方で、同じようなことは現実社会でもあるよね、と考えずにはいられない。
例えそれが偽りのない事実であっても、伝える側の切り取り方によって、真実とはかけ離れたイメージも伝わりうる。私たちはそのことを意識した上で情報を受け取っているだろうか。ある情報を受け取るとき、事実かどうかだけでなく、その情報の文脈や背景についても気にしているだろうか。
おもしろいように読者の認識をひっくり返す鮮やかな描写。そこには社会に対する作者のメッセージも込められているように感じる。ミステリならではのストーリー展開を満喫するのと同時進行で、何かまったくジャンルの異なる本を読んでいるような気分になった。
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