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noteを書く。文章を書く。

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誰かの心になにかを残せる文章を書きたい。「書くこと」についての記事をまとめました。
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#noteの書き方

誰かの心に残る文章を書きたい理由

今月、noteを始めて1年になります。そのうち9か月ほど手をつけていない時期があったので、実質の活動期間はだいぶ少ないのですが、とにかく1周年。 noteを始めた理由は、当時子どもの発達のことでぐちゃぐちゃだった頭の中を整理したかったから。頭の中を飛び交っているさまざまな思いをちゃんとした文章にして外に出したかった。それだけでした。 でも、記事をいくつか書いているうちに、文章を作るのがどんどん楽しくなりました。他のテーマでも書きたくなって、noteのお題なども利用するよう

書きたいこと書いたあとの、今こんな気分

がっつり長文を書いた反動からか、今度は力を抜いて、なんてこともないことを書きたくなりました。 4000字超だって。確認してはいないけど、間違いなく自己最長だと思う。 文字数の記録更新に加えて、初めて有料ゾーンを設定した記事でもあります。 推しに会えたときの舞い上がった気持ちをそのまま文章にしてみたかったんですけど、イタいって思われるのやだな、って。それだったら、有料でも!と思ってくださる方に限定して公開できればいいかなと思って書き始めました。 でも、書き終えたときには

残せないその一瞬を残したくて

フォローしているゆこさん。 「人生ずっと誰かのファン」というプロフィールは、長年そういうものとは縁遠かった私にはまぶしいかぎり。 ゆこさんが熱く語るアーティストのことはわからないまま、推しを推すその熱量とファンづくりの手伝いをしたいという思いに惹かれ、誰かのファンであるゆこさんのファンになった。 (ゆこさん、はじめまして。突然の引用失礼します。) 先日読んだ記事に、自分事として刺さってくる一節があった。 ライブで、心を奪われる瞬間。それはステージの見せ場とは関係なく

noteをスマホで書いてみたよ

って、今までスマホで書いたことなかったんかーい!って思われるのかなこれ。そんなことないよね、note書くのはPC派って人もたくさんいますよね?ね? noteに限らず、スマホで長文打つのがどうも慣れません。少し前まで、LINEで事務連絡などしっかりめの文を送るのもわざわざパソコンで下書き書いてスマホに送って貼り付けて・・・ってやってたほど。 まず、スマホの入力が遅いんです、私。仕事でガンガン使ってきたパソコンとは比べ物にならない。そして、スマホは一度に見える範囲が狭いのも気

その「お題」、タイトルに入れますか?

前に記事の締め方について書いたのですが、同様に悩ましいのがタイトルです。 この記事を書いたときも。 文章は書き上がったのに、タイトルがさっぱり思いつかない。 もう「私の仕事」とかでいいやと思いつつ一旦保存して。そのあと、ことばと広告さんの有料マガジン「つくるヒント」の更新通知が来ていたのでなにげなく開いたら、「タイトルで勝負は決まってる」ってフレーズが目に飛び込んできて。 こんなん読んだ後に自分の記事のタイトルを「私の仕事」にするの悔しいやん、しょうがないなあもう(笑

「書くこと」が大嫌いだった私が、「書くこと」で癒やされている。

もうとにかく嫌で嫌で。作文や感想文の類いがこの世からなくなればいいのに、と本気で思っていました。 人からどう思われるかを気にしすぎる子どもだった私。心の中を文章にして外に出すなんて恐怖でしかありませんでした。 文集などで書かされる「将来の夢」も、文章ですらないけどやっぱり苦痛でした。嫌すぎて、外向けの「将来の夢」を設定していました。まあまあ現実的で、多少は興味があり(まったくの嘘ではない)、かつ自分のイメージから大きく外れないであろう職業を考えて。 本当は、そもそも大人

いつか書く、そのnoteのために

「だれかの心になにかを残せる文章を書けるようになりたい」という、極めてぼんやりとした動機からnoteを続けてきましたが、最近になって、少し具体的な目標ができました。 私にとって大切なある題材について、特別な記事を書く。それを書くべきときが来たら。という目標です。 冒頭に「だれかの心になにかを残せる」と書きましたが、その記事に限ってはだれの心に残らなくてもいい。読まれなくても支持されなくてもいいから、ただ自分のために心を込めて書きたい。 「書くべきとき」がいつ来るのかはわ

唐突に終わりたい

いやそれこそ唐突になんなのよって感じですが、noteの話です。 記事を書いていて、締めの文に困ることがよくあります。 本文を書いた勢いのまま一気に書き上げられるときはいいのです。でも、とりあえず書きたいことを書いて一旦止まってしまい、さてどうやってまとめようかと思ってしまうと、もうダメ。 なんとか締めの一文二文をひねり出して記事を終わらせるのですが、無理矢理ひねり出した文ってやっぱり「とってつけた感」があって。読んでくださる方にとってどうかはわかりませんが、書いた本人と

noteの世界にあふれる【#noteの書き方】。そして、心からおすすめしたいnoteのこと。

noteに何を書くか。いかに書くか。 noteを書いているすべての人にとっての持ちネタであると同時に、たぶんnoteを書いている大半の人にとっての関心事でもある。 だから、「noteを書くこと」自体をテーマにした記事があふれているのもごく自然なことだと思います。 現に私が今書いているのもそうだし。これまでにもたくさん書いてきたし。 ・・・それにしても、「noteを書くこと」についての記事ばかりやたらとnoteがおすすめしてくるな、と思っていました。 結構あとになって

コンテスト落選のつらさをどう乗り越えるか

フォロワー数やビュー・スキの数はあまり気にならない私です。 他の書き手さんと比較して寂しくなっていた時期もありました。でも、数字を大きくすることよりも、思い入れのある記事を重ねていくこと、そして少しでも誰かの心に残ってくれることの方が自分には大切かなと。何度自問してもそういう結論になります。 少しのビューやスキであっても、読んでもらえている、存在を知ってもらえている、と感じることができるので十分だと、今は思えています。 一方で、どうしても心乱されてしまうのが、noteで

2022年、こんな記事を書いてみたい

漠然とではありますが、こんな感じの文章を書いてみたいなあというのがいくつか頭の中を回っているので、ここに残しておきます。 1、感情のままに書き散らかした文章 自暴自棄とまでは行かなくても、やりきれない気持ちをそのまま吐き出したような。以前noteで見かけて以来憧れているエッセイがあって、それがそんな感じの文章なのです。 逆にポジティブな感情でもよさそう。嬉しすぎて、幸せすぎて、書いてあることが支離滅裂、みたいな。いずれの場合も、寝かせずに感情が新鮮なうちに書くこと、そし

心が動いた場面こそ言葉を尽くしたい。

noteを書いてきて気づいた、自分の書き方の癖のようなものがあります。 心情的なクライマックス、つまりいちばん自分の心が動いた場面ほど、あっさりと短い言葉でまとめてしまうのです。 その場面こそが書きたくてテーマに選んだはずなのに、言葉がなかなか出てこなくて、その時の心情を細かく丁寧に描写することができない。その場面に至る導入部分のボリュームの方が大きくなってしまいがちです。 「書くことそれだけかいっ!」と自分につっこみを入れることもしばしば。で、無理矢理なにか足してみた

今日はさぼるつもりだったけれど、やっぱり書いてみる。

(タイトルのとおりの心境で・・・今回はひとりごとをつらつら書いてみようと思います) 昨日までで20日以上連続投稿を続けている。特に連続投稿を目標として掲げているわけではないが、文章の上達のために量を多く書きたいと思っているので、毎日少しでも書くことをなんとなく意識している。 でも、今日は朝からnoteを書くのをさぼる気満々だった。なぜなら、緊張していたから。 私はものすごく緊張しいだ。しょっちゅうなにかしらの理由で緊張している。今朝からの緊張の原因は、午後に予定していた