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ひねくれないこと

 課長を助手席に乗せた車中。

 今年中学に上がった娘がサッカーばかりしていて勉強しないので困っている、しかし今は勉強をしていい高校・大学に入ることがすなわち幸せを保証する時代でもない。だからサッカーに明け暮れているその毎日は否定しない。が、それにしても勉強しない。課長は悩んでいる様子だった。

 俺は周りを見返すためにとりあえず勉強をしてきた人間で、だから課長の言葉には頷きがたいものがあった。しかしいま幸せではないのだから、実際はその事実を身にしみて分かっている人間ではある。

 そんな俺が現代に学生として生きている子に言葉を送るとしたら、どんなものになるだろうか?

 自分自身さえ不安定で、いまなお自意識は混迷の中にあるので、たとえ相手が年下であっても、人生の先輩として振る舞うことはできない。けれど、なにか伝えなければならないとすれば、ひねくれないことかな、と思った。

 学生時代にひねくれちゃダメだ。

***

 課長と喋っていたそのとき、脳裏をよぎっていたのは映画『Oasis: Supersonic』のノエル・ギャラガーの言葉。

Yeah, my dad used to beat the living daylights out of me.
I've never felt compelled to either talk about it or write about it.
I know that I think it's no one else's business.
You can't let that kind of thing affect you in any way because then you're carrying that weight all the way through life.

字幕訳:俺はしょっちゅう殴られた。そのことを話そうとか書こうと思ったことはない。自分だけの問題だから。過去のせいで心を病んじゃダメだ。もし病んだら一生重荷を背負うことになる。

 学生時代、いかにひねくれないか?

 周りの人間を冷笑しない。テレビを通して時代を嘲笑しない。そうやって自分を守らないこと。

 ひねくれた視点はずっと人生につきまとうから。いびつな心を抱えて歩くにはこの行程はあまりにも長いから。

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