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はじめまして。田口勇貴です。
現在、人材企業でインサイドセールスの立上げに従事しています。
営業大好きで、営業の魅力を伝えたい。そして、営業で悩む人の力になりたいと日々活動しています。

今からお伝えしたいことは、結論、
「最も営業とは程遠い人種の私が、大手企業でトップセールスになれた」
というお話です。

人の何倍も遠回りをして、辿り着いた今があるからこそ伝えられることがある。少しでも「営業」で悩む人のお役に立てれば幸いです。

■プロボクサーを志した学生時代

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高校1年生でボクシングに出会い、卒業後に上京しプロのジムへ入門。
当初は「就職して、社会人で続けながら実績を作ってからプロへ」と考えていたのですが、ジム会長の強い勧めで、入門半年でプロライセンスを取得することになりました。
しかし、練習中に足首の靭帯を断裂。手術を行うも完治せず、そのまま、
競技生活を終えてしまいました。

■フリーターだった20代前半

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大きな目標を失った私は、知人の紹介で清掃業のアルバイトを紹介してもらい、20代前半は「フリーター」として肉体労働に従事しました。

しかし、次第に、ボクシングに捧げた情熱のように、真に打ち込める仕事を見つけたいと考えるようになり、興味を抱いたのが「営業」でした。

幼い頃、よく自宅に営業マンが飛び込みで訪ねてきて、母が迷惑そうに断っている様子を見てきたので、営業に対するイメージはマイナスでした。
むしろ「将来、セールスマンだけにはなりたくない!」と思っていたくらいです。

しかし、社会に出て、会社組織というものがそれなりにわかってくると、
実は営業職は会社にとって最も重要な職業であるということがわかり、
また、スポーツ同様に、ある種の「勝負の世界」的な匂いも感じ、
「この仕事なら、ボクシングに捧げた情熱ほどに、打ち込めるかもしれない。」と営業職を志すようになりました。

■コールセンター時代の20代後半

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清掃業のアルバイトから営業職の転職を目指したものの、世間は厳しく、
営業希望で人材会社に登録したが、未経験で仕事を紹介いただけるほど甘いものではありませんでした。
人材会社の担当者から「まずは、電話業務から経験を積んでみたらどうか」という提案をいただき、コールセンターの現場をいくつか経験することになります。
根っから口下手な私は、最初こそコールセンター業務に戸惑ったものの、
口下手というコンプレックスがあるからこそ、相手から承諾を得る為の話し方の手順などを研究し、最終的には管理者まで経験することになりました。

■営業職へ転職した30代前半

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コールセンター業務を管理者まで経験し、一通りの「やり切った感」を感じていた私は、30代前半でいよいよ「営業」へチャレンジします。

30代未経験からの営業へのチャレンジは、随分、遅い挑戦ではありました。初めての営業職は営業代行として、通信回線の法人・個人営業です。

プロパー社員が散々営業しても成約できなかった、通称「糞リスト」が委託会社に託され、飛び込み営業にて成約するミッションとなります。

当時、チームは20名弱のメンバーで構成され、30代前半の私が最年少でした。私以外、全てのメンバーが「見るからに営業の猛者」という環境の中で、なんと私が断トツのトップセールスを記録したのです。

初めて、「仕事で周囲と競う」ことを経験した私は、昔のボクサー時代の
「勝負魂」に火がつき、また、そこでトップセールスという結果を残したことで、私の営業職への情熱は更に高まっていきます。

■営業としての自信を確信へ変えた30代後半

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トップセールスを経験し、自分の営業に自身もついた私は、
「営業の強い会社で自分を試してみたい」と考えるようになりました。
そこで興味をもったのが営業会社として有名なR社です。
とわいえ、学歴も職歴も届かない私は、R社への直接入社ではなく、パートナー企業へ就職し、R社の事業を経験してみることを決断しました。

■念願のトップセールスへ

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業界最大級の集客メディアの新規開拓営業として首都圏エリアを担当。
飛び込み営業を主とした「ゴリゴリ」の営業で新規顧客開拓を行います。
営業組織でも年長組であった背景もありますが、社内表彰の常連として、
大手企業で全国レベルの営業として活躍する結果を残すことができました。文字通り「トップセールス」となることが出来ました。

■セールストレーナーとしての歩み 40代

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承認欲求の強い私ですが、目標達成や社内表彰が当たり前化されると、
「自分が評価されることよりも、周囲をどう活かすか」ということに興味を持つようになりました。

売れずに契約終了を告げられ職場を去る仲間、
未達が続き苦しむ若手、

自分がトップセールスと呼ばれ周囲からチヤホヤされている側で、
営業に悩み、営業に苦しんでいるメンバーが多くいることに気づき、
「彼らに自分と同じ成功体験を経験させたい。」と考えるようになりました。

そこから、自分の営業方法を言語化、体系化し「ナレッジ」として、
メンバーへ毎日メール配信することを自主的に行いました。
それが大きな反響を呼び、営業研修の講師も担当することになりました。
指導したメンバーで目標達成者や、社内表彰者が次々と誕生し、
その「メソッド」は今でも、職場で引き継がれています。

■仕組みで売る「インサイドセールス」との出会い

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営業マンとして成果を残した後、営業マネージャーとして着任したのが、
インサイドセールスチームでした。
これまで、ゴリゴリの飛込み営業を行なっていた私にとっては、全く新しい
営業活動への取り組みとなりました。

営業マネージャーになれば、私個人の成績ではなく、組織全体の成績が問われる立場となります。

この時、初めて「仕組みで売る」ことの重要性に気づき、
営業の仕組化について取り組むきっかけとなりました。

■フリーランスの「プロ営業」を経験

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R社の事業へ7年間携わった後、「プロ営業」として活動を始めます。フリーランスとして求人広告営業などの新規開拓を担当しました。

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プロ営業として活動している最中に、旧友から10年ぶりの電話連絡がありました。今思えば「虫の知らせ」だったのでしょうか。
営業強化に力を貸して欲しいお誘いを受け、人材企業で「インサイドセールス」を起案。現在、数名でチームを構成し奮闘中。

■まとめ

ここまでの経緯をご覧の通り、人の何倍も遠回りの人生を歩んできました。
根っからの引っ込み思案で、内向的な性格で悩んだことも多々ありました。
しかし、そんな性格だからこそ、「売れる為の手法」を研究し、
科学的に学習することで、営業を論理的に捉えることが出来ました。
そして、それにより「営業人材を育成する」スキルも身につきました。

コンプレックスは武器になる。

自らに悩み、売れ悩む多くの営業マンに少しでもお役に立てれば幸いです。

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