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19歳の24時間

19歳の夏の夜、中学校からの友達7人と1台の車で市内をドライブしていた。いつもと変わらず、その日の夜もあてもなくぶらぶら車で走っていた。すると突然、運転席の友だちが「いまから鷲羽山ハイランドに行こや」と言い出した。23時を過ぎたぐらいのことだった。

車内の誰ひとりとして嫌がる様子もなく、満場一致で行くことが決まった。助手席に座る友だちがふいに車内に流れていた音楽のボリュームを大きくして、みんなで一斉に歌い始めた。

小学生のころの遠足前夜のようなテンションで勢いよく車を走らせ、目的地の鷲羽山ハイランドには3時間ほどで到着した。カーステレオをちらりと見ると時刻は深夜2時。誰もいない駐車場に車をポツンと停めて、男7人で車中泊をすることにした。と同時に大きな問題に直面する。そうだ、寝る場所だ。

長時間にわたり運転をしていた友だちには配慮しつつ、それ以外の者には遠慮することなくジャンケンで決めることになった。
絶対に負けられない戦いに挑む「グー」や、Vサインにあやかろうとする「チョキ」、すべてを包み込もうとする「パー」がぶつかりあった。

勝負の結果、ぼくは3人掛けの後部座席の左側で寝ることになった。少しホッとしたのも束の間で、朝起きたときは体がバキバキになっているだろうなと不安になった。ただそれ以上に自分の足元で寝そべる友だちやトランクで寝る友だちの方が心配になったが、眠気には秒で負けてすぐに眠り落ちた。

車内で4時間ほど仮眠を取り、朝の7時頃に起きて近くのローソンに行った。コンビニの洗面台で顔を洗ったのは後にも先にもあのときだけだった。パンとコーヒーを買って駐車場に戻ってくると、小学校の同級生に遭遇した。
まさかこんなところで再会するとは思ってもみなかったのでビックリした。彼はぼくたちが車中泊をしたことを知って、大笑いをしていた。まあ、それもそうだろう。

そして迎えた時刻。テーマパークに足を踏み入れた瞬間、得体のしれない疲労感に襲われる。まだはじまったばかりなのに、鉛のように体が重く感じられた。
車中泊はもうしないと心に誓った。

この日の一番の目的は「バンジージャンプ」を体験することだった。海抜170メートルの高さから地上に向けてまっ逆さまに落ちる絶叫系アトラクションの代表格だ。
メインディッシュは後のお楽しみとして、前菜を味わうように他のアトラクションを満喫した。そして、満を持してのバンジージャンプの時間。

地上で係員の説明を聞いて、料金の支払いをしようとしていたとき、思わぬことが起こった。
Hくんが土壇場になって「俺はやめとく」と言い出したのだ。
彼は怖気づいたのだ。

ぼくも恐怖心はなかったと言えば嘘になるが、それよりも好奇心の方が勝っていたし、なによりもみんなと同じ「空間を共有」したいと思った。でもHくんは違った。空間を共有することなんかよりも、バンジージャンプを本気で恐れていた。

いま思うとテーマパークに足を踏み入れる前から、彼はバンジージャンプをするつもりはなかったんじゃないだろうか。他のアトラクションを楽しんでいるときも、昼食を食べていたときも、こころのどこかでその瞬間が訪れる恐怖に怯えていたんじゃないだろうか。

でも誰にも言えない。言えやしない。そんなことを言うとせっかくの場が台無しになってしまう。そんな不安と闘いながら口から出そうになる恐怖をグッと飲み込んでいたのだろう。

バンジージャンプはすこぶる楽しく、友だちとの絆も深まったように思えた。なにより地上から上空にたどり着いたときの、みんなのいつもと「違う感じ」がおもしろかった。

極端に無口になったり、命綱をつけた途端に余裕をかましだしたり、係員のレクチャーを無視して飛んでしまったり、ふつうの状態を装っているつもりでも、いつもと「違う感じ」がでていたのだ。
(ちなみに、ぼくは口数がかなり多くなっていたとのこと…)

この旅行の話はお気に入りの曲をリピートするかのように、何歳になっても繰り返し語り合うことがある。
そのときはみんな19歳のあの日に戻れるのだ。
ただひとりを除いては―


「やっぱり俺もあのとき飛んでおけばよかった」と、Hくんはいつも後悔の弁を述べる。
彼は目の前の恐怖に飲み込まれたのだから仕方がない。ただ、彼のことばを聞く度にぼくは思い返すことがある。



バンジージャンプのときにぼくが感じたことは、体感からくる恐怖ではなく、友だちと同じ体験をしなければ「思い出を語れない」という疎外感だったのだろうと。

それはすなわち、「友だち」という目には見えない共同体に囚われていたのかもしれない。

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