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「兄の終い」村井莉子さんの作品に感じてしまう現実とのつながり感



洗練された文章で淡々と軽やかに描かれているけれど、けっこう大変なお話でした。
なにしろ音信不通だった兄が、宮城県の多賀城という縁もゆかりもない町でなくなり、警察署から電話がかかってきたところから始まるのだから。

なくなった兄と暮らしていた息子の良一くんはまだ小学生。
父親のために救急車を呼び、担任の先生に連絡し、児童相談所にお世話になっているという。

作者は、前妻の加奈子ちゃんとともに、この兄の身体と居場所を片付けに行く。
兄の子である良一くんは、母親である加奈子ちゃんのもとに帰っていく。

一気に読みましたが、大変な「終い」でした。
文章の軽やかさが救ってくれるものの、大変だったに違いなく、その中に浮かび上がる「兄」の人柄と不器用さが、救いでもあり、せつなさでもありました。

そしてわたしの感想は。
小説の中で前妻の加奈子ちゃんが発した言葉とまったくいっしょでした。

「ああいう人は、たっくさんいます」

本当にそう思います。今の日本にこういう人がたっくさんいるような気がするのです。
一部の人には行政の手が届き、一部の人は誰にも知られないまま。
たっくさんのそういう人がいるような気がするのです。

根拠もないのに、なんでそう思うんだ? と言われるかもしれませんが。
「仕事柄なんとなく感じている」としか言いようがありません。

真面目で勤労意欲もある、持病もあるが、がんばって働きたい。
そんな「兄」の書いた履歴書を読んだときに「ああ、これじゃ受からないよね」と思うし。
そういう兄が小学生の息子を扶養し、きちんと食事をさせることも「とんでもなく大変なことだよね」と思う。
子供がいたからこそ、気づいてもらえたことも、もし完全な独居だったら、そうはいかなかったかもしれない。
びっくりしながらも、きちんと動いてくれた妹と前妻に連絡がついたのも、運が良かったことなのかもしれない。

そういう人がたっくさんいると思いながら、私たちの目に触れるのは、偶然にも支援を受けられることになった一部の人だけのような気がするのです(あくまで空気感)。

あと非正規で「コロナくび」になった人というのがまわりに複数いるのですが。
知っている人で数人いるんだから、こちらもけっこうな数字なのもかもしれないですよね(あくまで空気感)。

フィクションを読むように楽しみながらも、小説のバックグラウンドにある現実が迫ってくるような作品でした。

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