「40歳になって考えた父親が40歳だったときのこと」吉田貴司
2024年7月発売のコミックスです。
ツイッター漫画だったものを「小説幻冬」での連載となり、そして単行本化。
noteなどで断片を読んだりはしていましたが、実際に通して読んでみると、ふっと立ち止まって考えさせられるページがいくつもあり、そのつど手を止める作品でした。
主人公は現在40歳の男性。当時40歳だった父親と同じ年代になり、同じくらいの年の子供もいます。
父親はタクシーの運転手をしており、バブル以降はなかなか売り上げが伸びず、家に帰っては母親を殴る日ばかり。
母親は父親が帰る深夜から新聞配達などをしてお金を稼いでいる。
昔の日本がそうであったように、この家庭もまた貧乏でお金もなく、借金の取り立ても当然のようにありました。
その「貧乏」の描写が秀逸です。
>当時ドラマや今度で「貧乏」が表現される時
>子沢山の家で母親一人が内職をしているような描写がとても多かった
>晩ご飯はめざしとたくあんだけどか
>でも本当の「貧乏」ってそういうことではないのだ
>うちの電気は24時間つけっぱなしだった
>風呂はいつもなみなみとお湯が張ってあったし
>八方美人な母は読まない新聞を3紙くらいとっていた
>やりくりする術を持たない人を貧乏というのだろう
これにはガツンときました。
それと同時に、貧乏で父親も母親のこともきらいという自分を、作者がその年齢になって振り返る、俯瞰した距離感がなんとも絶妙です。
父親は結局連載中になくなってしまう。
そこにまつわる感情も「嘘が混じらぬように精密に」自分の気持ちが描かれています。
なくなったことに対する自分の感情。思ったこと、不満だったこと。
そこから辿り着いてゆく自分なりの死生感。
吉田貴司さんの作品は「心理状態の描写が細やかな漫画」が多いです。
「やれたかも委員会」もまた、その心理状態に「こういう気持ちに至るものなのか!」という驚きがたくさん隠されています。
そして「40歳になって考えた父親が40歳だったときのこと」も、また然り。
わたしも若い頃の母親の短気でキレやすいところを受け継ぎ、DNAを引き継いだり、否定しながら、自分という毎日を生きています。
ムスメもまた同じように思うのかもしれません。
親子という血のつながりは最初からあるけれど、わたしたちは繋がりながらも断ち切ったり、否定したり、たまに肯定しながら生きている。
世代というのは、繋がっているようで繋がっていない。繋がっていないようでどこか繋がっている。
それが淡々とゆったりと描かれた、いろんなことが感じられる作品だと思いました。
(おまけ)以前noteのご縁で吉田貴司さんのインタビューをしたことがあります。
メールのやりとりでのインタビューでしたが、とても楽しいやりとりでした。
こちらもご一読ください。