「白木蓮はきれいに散らない」的な、多様性にはびみょうに自信のない世界で生きている私たちのこと

友人のヒロミが孤独死する。
そのヒロミが遺言を残している。
自分の所有しているアパートに住んでいる大学生「笠原ショウ」が卒業するまでは住ませてあげてほしい。
彼が卒業したあとは、アパートは土地を売ってもかまわないので、3人で相続してほしい。
そんな遺言を受けた3人の高校の同級生マリ、サヨ、サトエの物語。

みんな、自分の価値観の中で生きているのにとても自信なさげ、というのが最初に読んだ印象だった。
そして、それが「わたしたちの空気感そのものだ」と気づいて切なくなった。

専業主婦のマリは家族のために労力を惜しまない。コンビニでアイスを買おうということになるときに「わたし、コンビニてめったに行かないもん、なんかだって何かを簡単に済ませちゃいけない気がして」という。

離婚調停中のサヨは少しだけ自由人。ふらっと寄った大学でソフトクリームを食べてみる。
それを見たサトエの「ホントに食べるんだ」というつぶやきが印象的だった。

サトエは企業で部長職。「私には全部は無理だったから一番得意なことを選んだ」と思っている。

この3人は自分の選んだ(または選ばざる得なかった)道を進んでいるわりには、お互いが再会すると、その差異を気にしあっているように見える

孤独死したヒロミと笠原ショウ君もまた違った価値観の中で生きている。
みんながみんな違っている。

高校時代のエピソードやいろんなことが明らかになってきて、その頃のことを思い出したり「思い出せなかったできごと」があったりして。
エピソードを重ねながら物語は進んでいく。

自分自身のことと重ねてみた。
ひとり暮らしの友人がいて、ある日旅行先で事故死した。
呆然とはなったものの、そのまま彼女のいない人生を生きるほかなかった。
こんなふうにわたしたちの友達は少しずつどこかへ行ってしまう。

まあまあ自由人であるかもしれない私(いつも好きなようにしているとまわりから言われている)だけど、「え? ミニストップのハロハロを歩きながら食べるの?」と、猛暑の楽しみを咎められたり、「楽している」「贅沢している」とオットのいない日のひとりの外食をとやっかまれたりはたまにある。
言われても気にしなければいいのに、「スタンダードをはずれているよ」と言われているようで、無駄にオドオドしてしまう。

多様性の中で、独身も既婚も子供がない人もまあまあいろいろだし、もっと環境や性癖や考え方まで入れたらもっといろいろなはずなのに、なんとなく差異をみつけてはオドオドしてしまう、わたしたちの年代が見事に描かれている作品だと思った。

もう少し下の世代だとそうでもないのかな?

多様性の「まぜる」「まざる」って大事なことだけど、自分の道をいくだけで精一杯でオドオドしてるのはわたしたちの世代だけなのかな?

ということを考えてとてもせつなくなった作品。

読み終わったら、清志郎が聞きたくなった。
「アレクサ、忌野清志郎の(誇り高く生きよう)をかけて」とお願いしたらかけてくれた。

うん。誇り高く生きよう。



なくなった友人のことを書いていました。
ヒロミとはちょっと違うけれど。
いまでもときどき思い出す。



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