映画「パラサイト」、そして僕に寄生した「遡り虫」についての話【後編】
今回は「遡り虫」について書きます。今回というからには前回もあります。【後編】とついているからには【前編】もあります。
映画「パラサイト」のかんたんな評をと書きはじめたものの、案の定かんたんにならず。強引に前後編にしました。アカデミー作品賞どうなりますかね。
「パラサイト」については前回のnoteや、街クリの加藤さんのコラムを読んでください。
「物書きは調べることが9割9分5厘6毛」が、おしえてもらったモットーなので「パラサイト」についても調べました。
突きあたったのが、1960年の韓国映画「下女」。
まだ見ていないのでくわしく言及はできませんが、下女(女中さん)が裕福な家庭に侵食していくストーリーや「階段」が重要な舞台装置となる点で「パラサイト」と共通点があるようです。引用された作品のひとつといえます。
「パラサイト」と「下女」のつながりは映画評論家・町山智浩さんの有料音声解説で知りました。
町山さんの解説は「下女」にとどまりません。「下女」は1920年の映画「カリガリ博士」に影響を受けているというのです。
「カリガリ博士」は白黒の無声映画で、「ドイツ表現主義」に影響をうけた歪んだ建物や美術が印象的。現実と妄想がいりまじった奇妙なストーリーで、今見ても充分たのしめます。アマゾンプライムで配信されていますし、何ならYouTubeで全編見られます。
見ると「あれと一緒だ!」と思う作品があるはずです。それを言うとネタバレになるのでむずかしいですが、ブラピが出ている殴り合う映画や、ディカプリオが孤島に行く映画が代表的なところでしょうか。
劇中の眠り男・チェザーレの顔面蒼白でスラッとした感じはティム・バートン監督自身や、彼の作品キャラクターの造形に大きな影響を与えたりしています。
「カリガリ博士」は、古今東西の映画作家や映画に影響をあたえた源流のひとつなんですね。
で、僕はこういうことを知ると異常に興奮するんですよ。
「カリガリ博士」自体は「フッド:ザ・ビギニング」評でロビン・フッド映画の源流として1922年の「ロビン・フッド」を見た後に白黒サイレント映画に興味をもって知りました。
映画を見て、調べた知識がつながる。
2020年「パラサイト」→1960年「下女」→1920年「カリガリ博士」と遡ってひもとけるんですよ。すごくないですか!? すごいですよね!!
こうなるんですよ。
これは、映画評を書くようになった最初からです。
僕が「映画評」という文章を意識したのは田中泰延さんの「ラ・ラ・ランド」評なんですが、そこには「ラ・ラ・ランド」に詰まった過去のミュージカル映画へのオマージュがひも解かれていました。
「1本の映画にそれだけのものが詰まっているのか!」と驚愕したことをおぼえています。
で、さらに今思うと「これとこれがつながるのか!」の最初は音楽でした。
名盤といわれる音楽くらい聴いておこうと30過ぎて思いたち、古いロックを聴きまくった時期がありました。「ロック 名盤 トップ100」とかで検索してでてきた作品をズンズン聴きました。
結果的として「プログレッシンブロック」「ヘヴィメタル」に大きく傾倒することになるんですが、その過程で出会ったのがピンク・フロイド。
フロイドの『クレイジー・ダイアモンド』(1975)を聴いたとき「これ、深海やんけ!!」と腰を抜かしました。『深海』は1996年発表のMr.Childrenの5枚目のオリジナルアルバム。『シーソーゲーム 〜勇敢な恋の歌〜』なんかが大ヒットしていた時期にも関わらず、そのダークでナイーブな内容が物議を醸した1枚です。
僕は『深海』が大好きでした。所謂コンセプト・アルバムで楽曲の繋ぎがシームレスでSEが多用されたりと、一風かわった作りです。当時14歳の僕には、それが「知らない大人の世界」みたいでなんともワクワクしたものです。
『クレイジー・ダイヤモンド』の中盤のサックスの音で『深海』を思いだして一気につながったんです。『深海』のつくりは『狂気』と一緒だ! とか、『アトミックハート』って『原子心母』からか! とか。
なんだかそれが、うれしくてうれしくて。
自分の「好き」の根っこはここにあったのかって。20年ちかくたってから気づいたんです。
映画はそんな体験ばっかりなんですよね。
どんな作品にも監督にも意識的な引用があり、無意識の影響がある。それを知って遡ることがうれしい!たのしい!大好き!なんですよ。
創作とエンタメの深海に潜り、探りあてるよろこびがあるんです。
「パラサイト」から「カリガリ博士」の流れに興奮した時、これはもう遡りの虫だなって思ったんです。「遡り虫」が僕の中にいるんだなって。
同時に
遡って知って、それを書いて意味はあるのか?
という疑問もあったんです。
でも、「パラサイト」の解説音源で町山さんは、「カリガリ博士」→「下女」→「パラサイト」と影響をうけた映画について語るなかで
意味なんてないかもしれない。意味なんてないかもしれないけれど、それを知ることが大好きなんですよ。
という趣旨のことを仰りました。
田中泰延さんは、佐渡島庸平さんとの対談の中で
意味がないことを繰り返すと、そこに意味が生まれる。
と語っていました。
映画を、映画評をおしえてくれた2人が同じことを言っているんですから確定です。
意味なんてなくてもいい。自分の中の「好き」を自由に暴れさせる。
好きにやれ、僕の中の「遡り虫」。
それでいいんですよね。
あなたも自分にパラサイトした「好きの虫」を、意味なんて考えず暴れさせてください。
きっと、世界がすこしだけたのしくなるはずですから。
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