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【シネマのレンガ路】「TENET テネット」をめぐる冒険 ~名もなき男、または僕が旅の果てに見つけるもの~

2019年12月20日。

それは、僕が初めて「TENET テネット」の映像を見た日。

日付を覚えているのは、「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」の公開日だったから。IMAX上映限定で、「TENET テネット」のプロローグ映像が流れました。

キエフでの救出ミッションシークエンス。そして、タリンでのカーチェイスの断片。それが映画の冒頭だったことも、弾丸や車は時間が逆行していることも「TENET テネット」公開後に分かるわけですが、「こりゃ、とんでもないな」と印象にのこりました。

今思うと、僕の「TENET テネット」をめぐる冒険は、そこからスタートしたんです。

2020年9月18日に「TENET テネット」は公開されました。大作がことごとく公開延期、配信シフトするなか、ほぼ予定通りでの公開です。

(画像出典:IMDb

公開日に見てからずっと「TENET テネット」について考えています。その魅力を、へんてこなところを自分なりに解釈し、なんとか言葉にしたいと思います。

書きはじめた今も、どんな輪郭のものになるかも分かりません。

僕が「TENET テネット」に、クリスファー・ノーラン監督に挑んだ軌跡です。過去作を見て、その評を漁り、映画秘宝を読み、パンフレットを読み、公式メイキングブック(6,600円!)を読み、サントラを聞きながら考えたことの断片たちです。

解説や考察ではありません。高校で物理をとっていない、センター試験の数2Bが19点だった男に解説できるわけがありません。白旗です。ジャムは、アヲハタです。アヲハタ 55、赤裸々GO! GO! GO!

辛うじて分かるのは「赤」と「青」が、「あれ」のシーン以外でも随所に使われていたこと。色のイメージを各所で刷りこんでいるんですよね。ワーナーブラザーズのロゴまでもが、オープニングが「赤」でエンディングが「青」でしたから。
各キャラクターの時系列などが分かりやすい記事はたくさんあるので、それを読んでください。YouTubeの解説動画もいいでしょう。いくつか紹介して、お茶を濁します。

橋口さんによる、タリンのカーチェイスにしぼった、街クリの解説コラムです。図解が恐ろしく分かりやすいので、必読です。

「TENET テネット」コラムのなかでいちばん好きなのがこちら。プロの書くものはすごいなと思い知らされました。

さて、ぶじにお茶が濁ったところで、はじめていきます。

ネタバレ全開です。気になる方は、見てから読んでください。早く見てください。そして、感じてください。

それでは、どうぞ。

クリストファー・ノーラン監督と、IMAX。

監督は、クリストファー・ノーラン。1970年生まれの50歳です。

(画像出典:IMDb

ノーラン監督といえば、〇〇〇。〇に言葉を入れながら「TENET テネット」とノーラン監督について考えていきたいと思います。まず「IMAX」をいれてみます。ノーラン監督といえば、IMAX

通常、映画撮影に使われるフィルム幅は35㎜。IMAXは、その倍。70mm幅のフィルムに撮影して映画をつくります。フィルム面積にすると、4倍。

(画像出典:Wikipedia

大型のフィルムですから、記録できる情報量が多く、高精細な映像となるわけです。IMAX方式でつくられた初めての作品は1970年のドキュメンタリー「虎の仔」。大阪万博の富士グループパビリオンで上映されていました。

(画像出典:IMAX Facebookアカウント

その後、ドキュメンタリーやローリングストーンズのライブ映像、短編アニメなどがIMAX方式で作られましたが、長編劇映画として初めて使われたのが「ダークナイト」(2008)です。152分のうち、約30分がIMAXで撮影されたもの。

IMAXはフィルムが大きい分、カメラも巨大で世界に数台しかないため、撮影自体が難しいんです。「ダークナイト」の撮影中、当時世界に4台しかなかったIMAXカメラの1台を壊したのは有名な話です。そのお値段なんと、50万ドル。6,000万円くらいだ…。

(画像出典:109シネマズ

スクリーンも大きいので、普通のスクリーンでは切れてしまう部分も映ります。その比較が上の画像。僕も初日はIMAXシアターで見ました。

しかし実は、IMAXにはさらに上があります。IMAXレーザー / GTテクノロジーと呼ばれる代物で、日本国内で鑑賞できるのは、東京と大阪のみ。スクリーンのアスペクト比は1.43:1通常IMAXでも1.9:1です。違いは下の画像で一目瞭然。

(画像出典:109シネマズ

上下の情報量が桁違いです。

フリーザ第2の変身ですら恐ろしいのに、更にもう1段階あると知らされた気分です。心の底から震えあがります。

なんでIMAXのはなしをしたかといえば、IMAXがノーラン監督作品の魅力の源泉だと、あらためて実感したからなんですよ。

端的にいえば、ノーラン作品は必ずIMAXで見ましょう!

ということです。

それを思い知ったのは「TENET テネット」公開の37日前。8月12日のことです。「TENET テネット」の前に、全国のIMAXスクリーンでノーラン監督作品が再上映されてましたよね。「ダークナイト」を見にいったんです。実は、劇場で見るのも初めて。

(画像出典:IMDb

ひっくり返りましたね。映画体験として別次元でした。何回も見ているから物語は完全に分かっているのに、それでも猛烈に引き込まれる。

特に、最初にバットモービルが入ってくるときの重量感。映像と音響で「重み」を感じました。真っ黒な怪物みたいな装甲車が「そこ」に存在していました。

そして中盤、ジョーカーの取り調べシーン。暗闇に浮かびあがるジョーカーの白い顔。そのコントラストたるや! 黒が本当に黒いんですよ。深い深い闇です。

(画像出典:IMDb)

混沌から生まれしジョーカーが、僕を闇に引きずり込もうとするかのようでした。ジョーカーの存在が映像で完璧に表現されていました。「完璧だ……」と実際つぶやいていたと思います。

IMAX版「ダークナイト」を見て思いました。ノーラン作品においては、IMAXが、荒唐無稽ともいえる題材に「そこにあるもの」としてのリアリティを付加していると。

現実感のあるバットマンとゴッサムシティ
「ダークナイト」

時空を超える宇宙旅行
「インターステラー」

同一空間における時間の順行と逆行の共存
「TENET テネット」

だから、ノーラン作品は必ずIMAXで見ましょう!

よい子のみんな、約束だぞ!

クリストファー・ノーラン監督と、時間。

ノーラン監督といえば、〇〇〇。続いては「時間」と入れてみましょう。

ノーラン監督は「物語における時間軸の改変、または時間自体の改変」をやり続けている人です。

長編デビュー作「フォロウィング」(1999)からずーーーーーーーーーーーっとです。

(画像出典:IMDb

「フォロウィング」は、大きな出来事があった後、主人公がそれを告白する場面からスタートし、少しずつ全容がわかってくいく構造です。全体の時間軸が、結果→原因となるようにつくられています。「インセプション」(2010)もそうでしたね。途中途中でも時間軸が細かく入れかえてあり、因果の逆転がつづきます。

この構造は「メメント」(2001)へ引きつがれ、拡張されます。時間軸が逆行しているだけでなく、順行のシーンと交互に配置され、最後は順行の流れに合流します。面倒くさいことこの上ない

わざと迷路のように、観客を惑わせるように作っているんです。ノーラン監督の映画制作会社はシンコピー・フィルムズですが、会社のロゴは実際に遊べる迷路になっています。

(画像出典:Wikipedia

時間を改変し続けてきたノーラン監督にとって、「TENET テネット」はその集大成ともいえます。編集によって行ってきた時間軸の改変を、直接スクリーンに映したんですから。

「フォロウィング」も「メメント」も、パッケージ版に、時間軸をいじらずそのまま構築されたバージョンが収録されています。時間軸を改変しているのは編集においてであり、1本道にして分かりやすくすることは可能なんです。

「TENET テネット」はそうはいかないでしょう。時間の順行と逆行が同時に存在する。しかも、時間の流れが異なる同一人物が同一空間に存在することもあるわけですから。オスロの空港での、名もなき男同士の戦いがまさにそれですよね。

ちなみに、撮影のスタートはオスロの空港シークエンスからだったようです。「とびきりややこしい撮影から始めることで、作品を早く理解してもらえ、効率的に撮影を進められる」との考えからだったようですが、それにしたってややこしすぎやろ。

(画像出典:IMDb

どんなにややこしくても、VFXを極力つかわず実写で撮影するのが、ノーラン監督のこだわりです。THE RIVERの記事によれば、「TENET テネット」で使用されたVFXショットの数は、300未満。監督の他作品と比べても少ない数字です。「ダンケルク」(2017)が430「ダークナイト ライジング」(2012)が450「インセプション」が500だといいます。

一方、できる限り実写で撮影するために、CGを活用しているのも「TENET テネット」の特徴。複雑なシーン(タリン 地獄のカーチェイス)や何度も撮影できないシーン(ボーイング747突撃作戦)では、事前にCGアニメシーンを作成して仕上がりのイメージを共有する「プレビジュアライゼーション」という方法がとられました。

Mayaという3Dソフトが使われ、タリンのカーチェイスシーンは仮想空間のなかで運転する一人称視点のドライビングゲームのような仕上がりになったといいます。時間の流れもキャラクター視点も自由に操れる。

なら、それで作って仮想空間で撮影すればいいじゃない!

……そんなこと微塵も思わないんでしょうね。アナログで作るために、デジタルの最新技術をつかう。映像の過去と未来を行き来きしているのが、ノーラン監督なんですね。ちなみに「それを作って撮影すればいいじゃない」を実際にやったのが「ライオン・キング」です。

 あの手この手で「映画における時間表現」に挑戦するノーラン監督。「ダークナイト」以外にシリーズ作品がなく、すべてオリジナル作品というのも、あらためて凄いことです。

映画に何ができて、どこへ連れて行ってくれるのか、その可能性を感じてもらいたい。

劇場パンフレットに書かれた言葉どおり「映画だからこそできること、映画にしかできないこと」を追求し続けている人です。だから、好き嫌いはあれど、多少でも映画が好きなら目を離せないし、あれこれと語りたくなるんだと思うわけです。

クリストファー・ノーラン監督と、アンドレイ・タルコフスキー。

ノーラン監督といえば、〇〇〇。最後は「アンドレイ・タルコフスキー」といれてみます。

アンドレイ・タルコフスキーは、旧ソ連の映画監督です。

(画像出典:IMDb

ノーラン監督は、好きな映画や監督のオマージュを素直にやっちゃう人でもあります。「TENET テネット」ラストの「美しい友情の始まりであり、終わり」というくだりは「カサブランカ」(1942)から。

(画像出典:IMDb

「インターステラ―」なんて作品全体が「2001年宇宙の旅」へのオマージュともいえます。

ノーラン監督が影響を受けた人のひとりが、タルコフスキー監督です。「アンドレイ」・セイタ―は、「アンドレイ」・タルコフスキーからきていると思っているんですが、どうなんでしょう。

タルコフスキー監督の作品、僕が見たのは「惑星ソラリス」(1972)「ストーカー」(1979)だけなので偉そうなことはいえませんが、美しく詩的な映像で、極めて内省的な内容です。そして、激しく眠気を誘います。「惑星ソラリス」をすべて見るのに3日かかりました。

なんだか分からないけど、すごいものを見た、印象に残る作品です。苦労して最後まで見たんだから良いものに違いないという先入観からではありません。ないと思います。違うはず。そうだ、違う違う

(画像出典:Amazon.co.jp

ともあれ「惑星ソラリス」「ストーカー」は、どちらも人間以上の高度な知的生命体に関する(一応は)SFもの。人知を超えた神的な存在をとおして、監督自身の心も反映させた登場人物たちの「トラウマ」「赦し」をテーマとしているような作品です。

「科学」と「宗教」に関する議論が劇中に交わされるのも特徴的で、「TENET テネット」のスタルスク12における、名もなき男とセイタ―の議論に影響を与えていると思います。

タルコフスキー監督作品について書けるような技量は僕にはないんですが、それでもなぜ書いたかといえば、メイキング本にこんな記述を見つけたからです。

(この本だよってわかるようにリンクを入れましたが、すごい値段になっています。どうしてもでなければ、重版後と思います。)

「TENET テネット」チームは2019年6月14日、32日間の撮影のためにエストニアに到着した。「これまであまり映画の舞台になっていない場所をずっと探していた」とノーランは話す。「タリンで撮影された本格的なハリウッド映画はそう多くない。そこが魅力的だった」。「テネット」の前に製作された最も新しい大作自体、アンドレイ・タルコフスキー監督による、1979年公開のソビエト連邦時代のSF映画「ストーカー」まで遡る

「TENET テネット」とタルコフスキー監督のいちばんの繋がりは、タリンという場所なんです。ちなみに、冒頭のオペラハウス、劇中ではウクライナのキエフという設定ですが、撮影されたのはタリンです。メイキング本にはタリンに決まった経緯も書いてあって、最初から想定されていた場所ではなく、様々な土地を検討したうえでの決定だったそうです。

(画像出典:IMDb

タルコフスキー監督「ストーカー」以来の大作を、タリンで撮る。ノーラン監督は、うれしかったでしょうねえ。 それを知って、まったく関係ない僕も、勝手にうれしくなりました。

ライムスター宇多丸さんは「インターステラー」評のなかで、ノーラン監督について「世間で思われているより、もっと無邪気で素朴な動機で映画を作っているんじゃないか」と指摘されていました。

今回いろいろ調べてみて、宇多丸さんの意見に共感するようになりました。「天才」「頭の中を見てみたい」と言われることも多いノーラン監督なんですが、その根本は

映画が好きでたまらない映画少年。

だと思うんですよ。

世界一贅沢な映画少年。

だから、映画にできることを考えつづけているし、あたらしいアイデアを実現させるための苦労は惜しまない。過去の名作のオマージュも臆面なく入れるだって、自分がそうしたいから。

作品ごとに実績を残して、やりたいことができる立場と予算を獲得できているというのも凄いですけどね。

「TENET テネット」評といいつつ、ノーラン監督評になってきているし、それすら成り立っているのか分からなくなってきました。そろそろ最後のパートに入りましょう。

「TENET テネット」のメッセージについて考えていきたいと思います。

「TENET テネット」をめぐる冒険

 ジョン・デヴィッド・ワシントンが演じる彼、本当の名前は明かされません。

(画像出典:IMDb

日本語字幕だと「名もなき男」、英語では「Protagonist」です。Protagonistとは、「主役」「主人公」という意味になります。

役割が、そのまま役名になっているんです。なぜ、主人公に名前がないのか? ノーラン監督の作品において本当の名前が明かされないことは初めてではありません。

「フォロウィング」において主人公は、ビルと名のりますが、本名ではない。苦しまぎれの偽名です。「ダンケルク」の主人公はトミーという名前ですが、トミーというのは「イギリス軍兵士」という意味の俗語でもあるんです。

主人公に名前(に含まれる、人物的な背景や信条)を与えないことでノーラン監督は何をしたいのか? 象徴化でしょう。

「フォロウィング」のビルは映画のポスターやステッカーを家に貼る脚本家志望と思われる男。映画作家としての未来を見すえるノーラン監督じしんの象徴のようでした。「ダンケルク」のトミーは、戦争のひとつひとつの局面で必死に生き、死んでいった兵士の象徴にも見えます。

「TENET テネット」における、名もなき男は何を象徴しているのか?

それを導くためにも、名もなき男が辿った道のりを考えてみましょう。

オペラハウスのミッション後、拷問されても情報を漏らさず「役割」に徹し、自死を選んだ彼は、テストに合格しTENETの任務に身を投じます。

その後、ニールに導かれるかのように

ムンバイ(インド)ロンドン(イギリス)オスロ(ノルウェー)アマルフィー(イタリア)タリン(エストニア)オスロ(ノルウェー)スタルスク12(シベリア)

と、世界を旅します。しかも、同時に時間旅行でもある。

時間の逆行に初めて接したとき、バーバラ博士に「自由意志はないのか?」と聞くと「考えないで、感じて」と言われます。

(画像出典:IMDb

逆行コンテナの中でニールに「祖父殺しのジレンマはどうなる?」と、タイムパラドックスについて聞くと「すくなくとも、未来人はないと思っているんだ。もう寝たほうがいい」と言われます。

(画像出典:IMDb

合理的に理解しようにも、はぐらかされ、流されるままに旅をつづけた名もなき男が行きつくのは、スタルニスク12です。

未来の世代のために現代を滅ぼそうとするセイタ―は「TENETに対する忠誠は、ただの盲信だ。お前はイカれた盲信者だ」と、名もなき男を否定します。破滅的な未来が待っているなら、今、自分と共に終わらせればいいと。

「未来のために、今を犠牲にする」というセイタ―の思想は「 アベンジャーズ/エンドゲーム」におけるサノスにそっくりです。サノス(Thanos)とは、ギリシア神話における「死」そのものを神格化した神タナトス(Thanatos)からきていると言われています。

(画像出典:IMDb

サノスは「死」に取りつかれている男でした。「 アベンジャーズ/エンドゲーム」では、自らの死をよろこんで受けいれ、サノスの死により、いちどはアベンジャーズの敗北が決定してしまいます。

セイタ―も「死」に取りつかれていました。プルトニウムという「死の物質」と共に生きてきたことで、そうなったのかもしれません。セイタ―からは自らの死を悲劇的に演出し、神格化しようとする意志すら感じます。

「未来のために今の命を犠牲にする」という敵の思惑を阻止するために、時間を遡るという点でも「 アベンジャーズ/エンドゲーム」と「TENET テネット」は共通しています。しかし「時間」の捉え方が真逆だというのが、おもしろいです。

「 アベンジャーズ/エンドゲーム」は多元宇宙という考え方から、無限に枝分かれする可能性が存在するという世界です。「TENET テネット」は多元宇宙は存在しない。すべてがあらかじめ決定しているともとれる世界です。

セイタ―に「未来への盲信など下らん。自分がすべてだ」と言われた、名もなき男は「そんなのは人間じゃない」と突きかえします。結果が決まっているとしても、それでも未来のために、信念をもってやるべきことをやるのが人間なんだと。

盲信でもいい、やるべきことに身を投じる。映画評論家・町山智浩さんは「インセプション」に登場する「leap of faith」という言葉も関連させて、19世紀デンマークの哲学者セーレン・キルケゴールの影響を指摘していました。

キルケゴールという人は、科学的な合理主義によって神の存在が否定されるような時代に、誰にでもあてはまる普遍的な真理ではなく、自分じしんがそのために生き、そのために死ぬことができるような主体的真理を求めつづけた人です。

そのために生き、死ぬことができるようなもの

これって、TENETのことじゃないですか。

「名もなき男」が、時間という絶対的だと思っているものすら揺らいだ旅の果てに見つけたのは、自分が本当にやるべきことと、そのために「主人公」になるという覚悟です。

自分さがしの旅だったともいえませんか。

それを決定的に自覚したのは、ふたたび時間を逆行しようとするニールの姿と言葉をとおしてです。

(画像出典:IMDb

ニールは、主人公よりはるかに長い旅をして、あの時間・あの場所に辿りついたはずです。明確には示されませんが、最低でも数年は時間を逆行してきたんでしょう。他に仲間はいたんでしょうか? もし、ひとりだったとしたら、なんと孤独な旅でしょう。

(画像出典:IMDb

キルケゴールが生涯追求することになる思想は、22歳の時に経験した「旅」によって深まったといいます。1835年の7月末から8月にかけて、デンマークのシェラン島を旅した彼は、8月1日の手記にこのように記しています。

私に欠けているのは、私は何をなすべきかということについて、私じしんに決心がつかないでいることなのだ。(中略)私にとって真理であるような真理を発見し、私がそれのために生きそして死ぬことをねがうようなイデーを発見することが必要なのだ。いわゆる客観的な真理などを探し出してみたところで、それが私に何の役に立つだろう。(中略)私に欠けているのはまさしくこれなのだ。だから私はそれを求めて努力しよう

出典:工藤綏夫著『キルケゴール ■ 人と思想19』(清水書院)

旅の中で、命をかけても惜しくないような、自らの真理となるものを発見する。

ここで、話をもどしましょう。

「TENET テネット」における「名もなき男」は、何を象徴しているか?

僕を含めた、映画を見ている観客のことだと思います。

ほぼ日刊イトイ新聞での、糸井重里さんとの対談でノーラン監督はこう言っています。

私の狙いとしては、まず、
ジョン・デイビッド・ワシントンが演じる
主人公と一緒に旅をしてほしかった、

ということがあります。
彼と一緒に旅をしていくなかで、
この世界にはこんな可能性があるんだ、
というのを体感してほしかったんです。

ほぼ日刊イトイ新聞
「クリストファー・ノーラン監督は私たちを困惑させる。」

「旅」が重要なんです。

2020年、僕らの生活から「旅」がなくなりました。

知らない場所で、知らない人に囲まれ、知らない自分を知る。そんなことができなくなった僕らに「TENET テネット」は、2時間半に凝縮された旅を体験させてくれます。

スマホもインターネットもない、闇の中で。

2020年という忘れられない年に「TENET テネット」が公開された。これは、とても大きなことだったと記憶されると思います。北米での公開状況が厳しく、世界全体での興行的には赤字ではないかといわれています。

ワーナーブラザーズも、ノーラン監督も厳しくなるのは分かったうえで、それでも、今、この映画を体験してもらう意義を感じていたのかもしれません。

「時間の流れ」というあたり前が崩れてしまった主人公に、あたり前だと思っていた日常が崩れ、足元が揺らぐように不安な日々をすごす僕らが重なります。

何世代先のはるか未来はもちろん、来年、来月がどんな状況かも分からない中で、何をするべきなのか。

セイタ―のように、未来をあきらめ、無駄なことだと切り捨てることでは決してありません。客観的ではなく「自分にとって真に大切なもの」を見つけ、未来を信じて、全力でなすべきことをすることです。

ひとりひとりの、TENETを見つけることです。

クリスファー・ノーラン監督を筆頭に、キャスト、スタッフ、「TENET テネット」に関わるすべての人。映画の力を信じ、映画づくりの信念を貫いたひとたちに感謝の気持ちでいっぱいです。

2019年12月20日にはじまった「TENET テネット」をめぐる冒険は、これを書き終えた2020年10月13日のきょう、いったん終わります。

しかし同時に、始まりでもあります。

映画をもっと知ること。そして、そのたのしさを誰かひとりにでも伝えること。その第一歩として、この「TENET テネット」評が、あなたに伝わることを願いながら、また歩きだそうと思います。

イラスト:ダニエルさん(Twitter , note
編集・校閲協力:mameさん(Twitter , note

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