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【鬼滅の刃】宇髄天元のド派手な宝石!芸妓の無惨様!!

実際に天元様を見たら宝石の輝きが相まって、柱の中で1番オーラがあると思っています。

私の考察は願望や妄想も入っています。
小学生の頃から趣味は妄想でした。

天元さんの額当て

鬼殺隊に入る前から額当てをしていました。

額当ての鉢金はちがねとは、相手の剣から額を防御する為と、汗や血が自分の目に入らないように 鉢巻の中心部に金属を打ち付けたものです。

額当ては忍者以外にも、新撰組や会津の白虎隊がつけていました。

以前、鬼殺隊は白虎隊のようだと書きました

天元さんや兄弟たちも、鉢金にさらに宝石をつけていました。
宝石は鉢金並みに固い鉱石です。

鬼殺隊に入ってからは、額当ての左右にジャラジャラと宝石がついてます。

江戸時代の末期までは、日本に宝石というものがほとんど存在していません。

飾り櫛やかんざしなどの髪の毛の飾りはありましたが、日本人は指輪もネックレスもイヤリングも使わなかったそうです。

着物自体が派手だったから、宝飾品を身につける必要性がありませんでした。

沼の鬼

ヨーロッパのように、日本でも宝飾品を身につけるようになったのは、明治時代に入ってからでした。

鹿鳴館ができると一気にジュエリーブームが花開きます。鹿鳴館の舞踏会に出席するには、洋装を身につけたからです。

そのジュエリーを手がけたのは江戸時代に刀に彫金を施す装剣金工たちでした。

刀を持たないことが法律で決まってしまい、装剣金工師さんたちは職を失いますが、一部の装剣金工さんたちはジュエリ―への道に移りました。

引用元 『装剣金の歴史』

天元さんの額当てや腕輪は、刀鍛冶の里の装剣金工師さんたちが作ったのかもしれませんね。

忍者の里と刀鍛冶の里


忍者時代から、天元さんは忍者の里と刀鍛冶の里と行き来をしていた可能性があります。

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