#6 愛する力と対象について
エーリッヒ・フロム著の「愛するということ」を絵で描いてみたシリーズの2章では、今まで以下の内容をまとめてきました。
第二章 『愛の理論』
#2「人の愛について」
#3「孤独の克服歴史」
#4「愛の定義」
#5「愛の成熟プロセス」
今回は、愛する力とはなにか・愛の対象についてまとめていきます!
愛とはなにか
ほとんどの人は「愛する誰かが現れた時、私は人を愛することができるはずだ! 相応しい人を見つけた時、後はひとりでにうまくいく」と考えているが、そうではない。愛の定義でまとめたように、愛は能動的な活動であり、自ら踏み込み、与えることである。
これは「絵を描きたいと思っているくせに、絵を描く技術を習おうともせず、描くべき対象が見つかるまで待っていればいいのだ。」といっているようなものだ。一人の人をほんとうに愛するとは、すべての人を愛することであり、世界を愛し、生命を愛することである。誰かに「あなたを愛している」と言うことができるなら、「あなたを通して、すべての人を世界を、私自身を愛していると言えるはずだ。」
しかし、愛する人がひとりではなく、すべての人に対する態度であるといっても、愛する対象の種類によって愛にもさまざまなカタチがある。
a.兄弟愛
「たくさん持っている人ではなく、与える人が豊かなのである。愛とは、愛を生む力なのである。」
b.母性愛
c.異性愛
愛は、「異性なら誰でも愛せる!」というものではない。愛するためには、性別・性格・性質などもっと深めた先にある自分をより補完してくれる相手が必要なのである。
d.自己愛
e.神への愛
これまで述べてきたように、私たちの愛の欲求は孤立の経験と、合一体験によってその孤立の不安を克服したいという欲求に由来する。神への愛(宗教的な形の愛)も、心理学的にいえば、他の愛となんら変わらない。神への愛も孤立を克服して合一を達成したいという欲求に由来する。人間にたいする愛と同じ数の特質と側面があり、さまざまな形があるという点でも、人間への愛と変わらない。
神への愛は、人間の愛を成熟させるプロセス同様以下のようになる。
①母なる女神への無力なものの依存
②父性的な神への服従
③人間は神を人間の外側にある力とみなすことをやめ、愛と正義の原理を自分自身の中に取り込み、神と一つになる
④最終的には詩的に、あるいは象徴的にしか、神について語らないようになる(知っていながら知らないと思うことが最高の到達点だから。)
まとめ
このように、「対象との付き合い方はさまざまだが、愛は態度・性格の方向性」であるとフロムは述べている。しかし、最初に述べたとおり資本主義社会では、愛する技術を取得することは非常に困難である。「なぜ困難なのか」「困難な場合、人はどう孤独と付き合い、人と付き合っていくのか」についてを次の記事でまとめていきます。
次のnote:#7 「愛と現代西洋社会におけるその崩壊」
索引
(まとめ)『愛するということ』を絵で描いてみた
第一章 『愛は技術か』
#1「愛は技術か」
第二章 『愛の理論』
#2「人の愛について」
#3「孤独の克服歴史」
#4「愛の定義」
#5「愛の成熟プロセス」
#6「愛する力と対象について」(現在のnote)
第三章 『愛と現代西洋社会におけるその崩壊』
#7「愛と現代西洋社会におけるその崩壊」
第四章 『愛の修練』
#8「愛の修練」
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