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#2 人の愛について

エーリッヒ・フロム著の「愛するということ」を絵で描いてみた・ 1章の続きです。2章はボリューム感があったため、いくつかに分割して更新しています。

(1.愛、それは人間の実存の問題にたいする答え)

愛に関するどんな理論も人間の理論からはじめなければならない。

「動物の愛」と「人間の愛」について

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「自然の調和」から前進した結果

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「不安」とはなにか?

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人間は「人は1つの独立した存在であり、人生は短い。人は自分の意思とはかかわりなく生まれ、自分の意思に反して死んでゆく。愛する人よりも先に死ぬかもしれない。人間は孤独で、自然や社会の力の前では無力だ。」と、たえず意識している。

上記のようなことを意識している人間にとって、統一のない孤立した生活は耐えがたい牢獄と化す。この牢獄から抜け出して、外界にいるほかの人々となんらかの形で接触しないかぎり、人は発狂してしまうだろう。

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聖書アダムとイヴの物語

「孤立からくる恥と罪悪感」についてはアダムとイヴの物語にも描かれている。

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ただし、恥とは「裸であることを知ったこと」ではなく、「愛によって結ばれず、孤立してすることで生まれる恥・罪・不安のこと」を指している。

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「孤独の牢獄から抜け出したい」という目的の達成に対して全面的に失敗したら、発狂するほかない。なぜなら完全な孤立という恐怖感を克服するには、孤立感が消えてしまうくらい徹底的に外から引きこもるしかない。そうすれば、外界も消えてしまうからだ。

「嫌われる勇気」の中で、「悩みを消し去るには宇宙の中でただひとりで生きるしかない」とアドラーは発言したとありますが、それと同義と捉えています。

いかに”孤立”を克服するか?

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しかし、問題は同じでも答えはさまざまだ、人間はこの問題に応えるために、動物を崇拝し、人間を生贄に捧げ、軍隊による征服をおこない、あるときは贅沢にふけり、またあるときは禁欲的にすべてを断念し、また仕事に熱中したり、芸術的想像に打ち込んだりする。さらには、神への 愛や人間の愛によって、この問題に答えようとしてきた。

「いかに、人間が孤独を克服しようと試みてきたか」については、次のnoteで。

次のnote: #3「孤独の克服歴史」画像8

索引

(まとめ)『愛するということ』を絵で描いてみた
第一章 『愛は技術か』
#1「愛は技術か
第二章 『愛の理論』
#2「人の愛について」(現在のnote)
#3「孤独の克服歴史
#4「愛の定義
#5「愛の成熟プロセス
#6「愛する力と対象について
第三章 『愛と現代西洋社会におけるその崩壊』
#7「愛と現代西洋社会におけるその崩壊
第四章 『愛の修練』
#8「愛の修練

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