#1 愛は技術か
エーリッヒ・フロム著の「愛するということ」を読み進めていく上で、深い気づきが得られているような気がする反面、とても難しかったので、絵で描いて理解してみる。
人々は「愛」を重要視しているのに、「愛するということを、学ばなければならない」と考えている人はほとんどいない。
「なぜ、人は”愛するということ”を学ばなければならない、と思わないのか?」それにはいくつかの前提が個別にあるいは、組み合わさっているからだとフロムは話す。
前提1:「愛するという問題」ではなく、「愛されるという問題」として捉えているということ
前提2:愛の問題は、「能力の問題」ではなく、「愛の対象の問題」と思い込んでいること
そのような考え方をしてしまう根底には大きく2つの社会的背景がある
社会的背景1:「愛の対象」の選び方が大きく変化したこと
社会的背景2:購買欲と互いに好都合な交換という考え方
何もかもが商品化され、「物質的成功」がとくに価値をもつような社会では、人間の愛情関係が商品や労働市場を支配しているのと同じ交換のパターンになっていたとしても、おかしくはない。
前提3:「恋に落ちる」体験と「愛している」持続的状態を混同していること
これがもし、「愛」以外の活動なら、人は以下の行動をとる。
・「失敗の原因を知りたい」と思うし、「どうすればうまくいくか」を知りたがる
・または、その活動を一切やめてしまう
愛することをやめてしまうことはできない以上、愛の失敗を克服する適切な方法は1つしかない。失敗の原因をしらべ、そこからすすんで愛の意味を学ぶことである。
愛の意味を学ぶ第一歩は、生きることが技術であるのと同じく、愛は技術であると知ること。
技術を取得する過程
現代社会に生きる人々はあきらかに失敗を重ねているのに、どうして「愛するという技術」を学ぼうとしないのか?
心の奥底から愛を求めているくせに、ほとんどすべての物が愛よりも重要と考えているのだ。成功、名誉、富、権力、これらの目標を達成する術を学ぶためにほとんどのエネルギーが費やされ、愛の技術を学ぶエネルギーが残っていないのである。人々は「金や名誉を得る方法だけが習得するに値する。愛は心にしか利益をあたえてくれず、現代的な意味での利益はもたらしてくれない。われわれは、こんな贅沢品にエネルギーを注ぐことはできない。」とこんな風に考えている。
本当に、愛は現代的な意味での利益はもたらしてくれないのでしょうか?
第二章は『愛の理論』について詳しくみていきます。
次のnote: #2 「人の愛について」
索引
(まとめ)『愛するということ』を絵で描いてみた
第一章 『愛は技術か』
#1「愛は技術か」(現在のnote)
第二章 『愛の理論』
#2「人の愛について」
#3「孤独の克服歴史」
#4「愛の定義」
#5「愛の成熟プロセス」
#6「愛する力と対象について」
第三章 『愛と現代西洋社会におけるその崩壊』
#7「愛と現代西洋社会におけるその崩壊」
第四章 『愛の修練』
#8「愛の修練」
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