アウトプットの大切さ

私には忘れられない2年がある。
2018〜2020
アフリカのマラウイという国に住んでいた時のこと。

毎日のこと、当たり前のことだから忘れないだろうと思っていた。

当時使っていた言語が、日本語、英語、トゥンブカ語、トゥンブカ手話、
そこにプラスして公用語のチェワ語やチェワ語手話を使うこともあった。

当たり前に使っていたことば。
習得には苦労したが、日々の生活になっていた。
英語がわかるけど、トゥンブカ語がわからない時、
トゥンブカ手話は知ってるけど、これって英語でなんていうの?という時、、、
分かる単語で分かってくれる人に繋いでもらっていた。

ここにコミュニケーションのきほんがあるような気がしていた。
周囲の異文化や多言語を受け入れる環境と、知りたい・伝えたいという当事者である私。
相互の関係で成り立つもの。
これこそがコミュニケーションの本質!と思っていた。

日本に帰国し、やはり使わない言語は忘れていく。
また、日本手話の勉強も始めたため、トゥンブカ手話をどんどん忘れていく。

さぁ、どうやって忘れないようにしていくか、、、
コミュニティが必要だよなーとか考えているうちにどんどん忘れる。
というか、なんで忘れたくないのか?
忘れても、まぁいい気もする。

考えてみると、その言語でしか触れられない文化に浸ったおかげでできたたくさんの思い出がある。
それを忘れたくないのかもしれない。

時折、学校へアフリカでの体験を話す講師をさせてもらう。
写真に出てくる子どもたち、大好きだったあの子は今何をしてるのか。
いろんなことが頭に浮かんでは消える。
そう、体験談を講演させてもらうことで、様々なことを思い出し、思い出を強化できる気がする。
同時にことばも蘇ることがある。

やはり、アウトプットすることによって、大切な思い出を改めて見返せる。そして、強化させる。

コミュニケーションのきほんは何なのか?
相互的でなく、一方的でもいいのかもしれない。
言語がわからなくてもいいのかも。

コミュニケーションの語源は
Communis「同じものを持つ、あるいは共通したもの」
共通したなにかがあれば、それだけでコミュニケーションは成立するということなのか。

気になることや最近考えたことをアウトプットすることも大切なんだろうな。

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