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当たり前なんてどこにも無かった

体調を崩して得たもの

それは
「当たり前なんてどこにもない」
という気づき。
よく聞くような言葉。けれども、忙しい現代では忘れがちなこと。…私も完全に忘れていました…。

私が体調を崩して失った「当たり前の日常」
失ってから日常の何気ない事への感謝が生まれました。
私は、些細な日常こそが幸せという事に気がつけない程、自分の心を無視し、現代の社会生活に必死についていこうと走り続けていました。

体調を崩してからもずっと、お金のため・ちょっと見栄を張るために、育児もしながらフルタイムで仕事を続けていました。当時原因不明の、頭痛や目眩は、薬や点滴でごまかして生きていました…。

もちろん、目標を持つなど、ある程度のプレッシャーは生活を潤してくれます。だけど、それも度を越せば、自分のどこか弱いところが、何かしらのカタチで悲鳴を上げるようです。
そうならないためには
【体】と【心】の"バランス"が大切なのだと痛感しています。

どちらかが突出していても、少なすぎても良くないと体感しています。

以前の欲張り、いや、貪欲(笑)な私は、どちらかが突出したとしても、もう一方を凹ませてプラスマイナスのバランスを取れると信じていました。
しかし、そうして走り続けた結果、体にムチを打ち、ついには、体が動かなくなって完全強制終了しました。
体に不調が出る場合も、心に出る場合もあると思います。

バランスを取るためにいちばん大切なのは、【本当の自分の声】なんだと、今では思っています。
私の場合、体調を崩したので、一見【体の声】を無視していたのかな、
と思えるところですが
私は、なぜ病気になってしまったのだろう、と自分の気持を掘り下げる作業を続けてみたところ、あれだけバリバリ働いて、家も何のために買ったのだというほど不在にしていたのに

私の真の望みは
「家族とまったりゆったり、生活を楽しむことだ」

ということに辿り着き、ハッとしました。真逆な生活してた…(笑)
私の【本当の自分の声】に、やっと辿りつけました。つい最近の事です。
なんと頑固な私だったのでしょう。苦笑。

私は、心の声に頑なに蓋をしていました。
体は「心はついてきてないよ、無理だよ」と、不調和のサインを出していたように感じられます。

育った家庭環境や、教育環境、経験した人間関係などにより、長らく、自分を見失っていたんだと思います。

私は、人生を、本当に休み無しに走り続けることで、ランナーズハイの状態になっていたようでした。
自分と向き合う時間、ボーッとする時間、思いにふける時間、そんな時間が、いつからか、欠けてしまっていたのです。

この事に気が付くきっかけは、朝の瞑想と呼吸法を生活に取り入れ始めた事でした。

岡清華さんの発信がきっかけで、生活の知恵てしてアーユルヴェーダ※と出会い、私が抱える不調のひとつ、睡眠障害を解消するために、motherの朝の瞑想と呼吸法のクラス(オンライン)で、自分ひとりでは出来なかった早起きという生活習慣、トライできなかった瞑想だけでなく、心と体を整える呼吸法も学んでいます。

※アーユールヴェーダは、アーユス「生命」とヴェーダ「科学・智恵」という2つの言葉から成る、伝統医学です。伝統医学と言えど、現代に生きながら、生活の中で無理なくできる事も多く、いわゆる、おばあちゃんの知恵袋のようなものです。

こうして私は、自分の体調不良を良くするため・【体(BODY)】のために、と思ってアプローチしたアーユールヴェーダを通して、自分の中の【心・本当の気持ち】が整っていないと【体】も整わない事を体感をもって学んでいます。
その学びは奥深く、日々感じることが多く、新しい自分を発見できるので、とても楽しいです。

大人になって初めて自分と対面する時間を持ったように思います。
瞑想と呼吸法を始めて変わった事は、自分の中の違和感に気が付けたり、それを解消する方法に自分でたどり着けるようになりました。

例えば、私の場合は、
「今生活している中で、自分ひとりで色んな事(苦手な分野の家事や仕事)を抱え込んで、知らないうちに頭を悩ませている事」…自分にとってハードルが高い家事や仕事を二つ返事で請け負ってしまう、といった、自分のクセ。に気が付き、
「自分がキャパオーバーしている時にどのように体がサインを出しているか」 …イライラ、頭痛、ソワソワ、など。
そして、キャパオーバーする事なく、もしくは、キャパオーバーしてしまっても、
「どのように回避/解消するか」
 …人に頼る(苦手で今までできなかった事にも気が付きました!)、(睡眠障害があるので)眠れる時に寝る、瞑想とは別にぼーっとする時間が必要、など。
が徐々に、分かるようになってきました。

自分で自分の事、分かるようで分からないものですよね。

今まで「どれほどに自分を無視してきたのだろう!」と思います。

このようにして、自分を大切にする時間を設けてみると、感謝することが増えました。

体が動いてくれる事(食べられる事や眠れる事など)についてはもちろん、体調が不安定な私に対し、家事をみんな回してくれたり、急な体調不良にも嫌な顔をしなかったりと、当たり前のように支えてくれる家族、体調を崩しがちな事を、仕事で迷惑が掛かろうとも理解をしようとしてくれる、とっても優しい職場の人、この体調でも雇ってくれる会社がある事、体や心がきつい時に辛抱強く話を聞いてくれる友人。。。

体調不良に気を取られていた数年間を経て、時間はかかりましたが、私は本当に沢山の人に助けられて「自分が今ここに居る事」に心の底から気が付けました。
自分で自分を大切にできて初めて、目の前の当たり前なようで当たり前でない事に、奥底から感謝できるようになったのです。

どんな理由やどんな方法であれ、自分にフィットする方法で「自分と向き合って労る」それが大事なことなんだと感じています。

-----おわり-----

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