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画家の証明。 行方不明の絵画はどこで何を伝えていますかしら…?

画家の祖父が、軽い認知症になった。

私は上京して何年たったんだろう。周囲に比べれば帰っていた方だけど母娘問題が大きく、なかなか祖父母とも疎遠になっていた。

弟も1年半ほど前に、仕事を求めて上京してきた。田舎は真面目で健康体な弟の20代の一番素晴らしい日々を搾取しただけだった。それでも、弟がいることで祖父はなんとかなっていた。

西洋画家を中途退職してから始めた祖父は、有名な画家ではない。数回、美術関係の雑誌から誘いがあったが下手な売り方を嫌う人だった。上野の美術館では所属していた美術会の展示が毎年あった。そういうものには文部大臣賞が毎年贈られるが、一度頂いたそれを祖父は大層大事にしていた。

小さい頃、祖父母の家で過ごしていた。幼稚園から帰ったら、車庫の上にそこそこ広いアトリエが出来ていた。階段を登ると祖父は毎日カンバスに向かっていた。小学生にもなると、孫にも油絵具で好きに描いていいといってくれた。私は小さな画家になれた。

アトリエは白い壁に、たくさんのイタリアやギリシャで書いたスケッチや越後や信州の山々のスケッチが貼られていた。それから、そのとき描きたいイメージの過去の巨匠のポストカードやカラーコピーが画鋲で留められている。イーゼルはぼろぼろだが、営業上がりで洒落者の祖父は70を超えてもGパンスタイルでピンと背筋を伸ばし描いていた。

売れた画家ではない。個展もあったが、そういうので買ってくれるのは馴染みの方だと教えてもらった。それでもたまに、ポンと知らない人が求めていくものなので芸術は不思議だとも教えられた。

売れなかったら売れなかったで、カンバスは家に飾られたり地域の銀行に寄付される。絶対に売らないと決めたらしいベネチアの絵画を私にくれるといったことを、祖父は覚えているだろうか。

耳が遠い人だった。60半ばにして、テレビの音量はMAXだったらしい。70代、80代とほとんど聞こえなくなった。趣味のサッカー観戦も大河ドラマも字幕でなんとかしているらしい。読書だけは変わらないらしい。

電話を祖母にすると、3分だけ祖父は出る。大きな声ではっきりと、元気じゃなくても「げ・ん・き」と言えば満足して喜んでくれる。

でも、もう祖父の中で私たちは18歳、19歳で止まってしまっているのだ。大学生だからなんで帰れないのだろうと不思議なのだと祖母に言われて、いよいよ弟と二人してぎょっとしてしまった。

私たち、孫にとっての祖父もまた、70代の祖父なのだ。カンバスに向かい、鬼気迫るような顔をする画家の祖父なのだ。

今も新聞を読み、孫の件以外はそれほどおかしいわけではないらしい。でも、画家の祖父が消えていく。アトリエはもう、ほとんど手つかずらしい。

芸術家である証明は、どうしたらいいのだろうか。美術名鑑に名前が載っていたのはいつだろう。途中でもう、辞退したんだったか。雑誌に一時期取り上げてもらったのはいつだろう。あの雑誌は、まだちゃんとあるのだろうか。祖父の絵を、祖母だけで守れるのだろうか。

アトリエは、どうなるんだろう。それでも、祖父は描いたのだ。

一枚だけ、行方しれずの絵がある。「朝」というタイトルの美しい白い鳥が描かれた絵だった。めずらしく祖母が気に入ったので、売れなければ祖母のものになる予定だった。

百貨店でよくある合同展示販売で、それが売れた。祖父も祖母も驚いていた。お客さんには基本的にご挨拶に伺うのが祖父だった。ただし、時たま百貨店では内密に買う方がいるのだ。画家同士の場合、たいていは百貨店にいいつけて買主がわからないようにする。

あの絵は、だれかにとってどうしても欲しいものだったんだろう。祖父の昔の恋人かもしれないし、ライバルの画家かもしれない。(画家同士は内密に買うことが多いらしい。)

祖父の絵をお持ちの方へ。大切にしてくださっていますか。見ると、元気になりますか。良い朝を、迎えてくれていれば孫娘として幸いです。どうか、ずっとずっと、大事にしてくださいね。


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