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超短編 7月のレモネード


「わたしね、明日にでもおばあちゃんになりたいの。70代ぐらいのおばあちゃんになって、5年ぐらい生きて死にたいの。」

先月25歳になったばかりの彼女が言う。

ぼくらはベンチに座って、カフェでテイクアウトしたレモネードを飲んでいる。

上にのっかる ペパーミント。


「最近、よく想像するの。わたしが死んだあとの世界のこと。
一応地獄ではないと仮定してね。
うちにもう15さいの猫がいるでしょう?その子と平屋の家でね、一緒に過ごすの。
庭にはハーブが植えられていて、屋内には小さなグランドピアノがある。
グレンのレコードもある。猫がもう一匹いる。
好きな時にお茶を飲んで、夜はたまに月をみて、皆で一緒にねるの。」


「とてもすてきな生活だね。僕もまぜてほしいぐらいだ」


「こういう想像をしていないとね、からだバラバラになってしまいそうになるの。
この世界のほとんどのことは、わたしにとってうるさくて、意味が分からなくて、
戸惑うことばかりなの」

レモネードの容器を握る彼女の手をみる。

手の甲からひじにかけて、20センチほど包帯がまかれている。

その隙間から、あかくにじんだ傷がみえる。


「切ると、楽な気持ちになる?」

僕はきく。

彼女は首を振る。

「一瞬、なにかから解放されたような感じはする。
けれど、すぐに重たい空気が戻ってくるの。黒い悪魔の息が戻ってきたみたいに。」


「すきなひとがいればね、もうわたしは大丈夫なんだって
ずっと思っていたの。ずっとずっとそう思って、彼と何年も過ごしてきたの。
でも彼は突然いなくなってしまって、それからね。
いろんなことを受け容れたり、取り組むのに、ものすごく時間がかかるの。」


「彼がいなくなったとしても、きみはきみの人生を歩むべきだよ。
僕は応援するよ。」

彼女が僕の目をのぞき込む。


「いなくなったひとのことをすきでいつづけるって、すごく悲しいことなの。」

彼女がうつむく。

レモネードの氷は、半分溶けている。


「最近、ごはんはちゃんと食べている?」

僕ははきく。

「食べているよ。食パンとヨーグルトを食べた。先月ちゃんと生理もきた」


「僕はきみが、またどこか遠くへ行ってしまわないか、心配だよ」


彼女は僕をみて、にっこりと笑う。

薄い頬にしわができる。

ワンピースの襟からのぞく彼女の鎖骨は

なにかをあきらめたように、薄暗くくぼんでいた。

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