プレゼンテーション1

悲しいことも明るいことも【宮城旅報告②】

ー6ー

気仙沼は、ヨーロッパのおしゃれな港町を彷彿とさせ、「ベイサイド」とカタカナで呼んで若者のデートスポットになりそうなくらいキラキラしていた。女川にはピカピカのグルメ通りが出来てどんどん若者が移住してきているし、石巻の人たちからは「人口減少・産業縮小に直面する地域を、これから先何十年、世界を見据えてよくしていこうぜ」というイケイケな話も聞いた。

画像1

「震災からの復興」の段階から「未来のためのまちづくり」へ。どんどん進んでいるように見えて、もうここまで来たんだ…!と少し浮き足立って町を楽しんだ。

そんな旅の後半、気仙沼の東日本大震災伝承館・震災遺構を見学した。

地震・津波・火災の13分の映像を見た後、津波をかぶった向洋高校の4階建て校舎を歩いて回るうちに、そんな浮き足だった気持ちは、ざーっと波のように、引いていった。災害の爪痕、大切な人との別れの悲しさ・苦しさがまぎれもなくあることを、突きつけられた。

画像2

生まれ変わってキラキラしているように見えるまちが、どれほどの犠牲と苦しみと忍耐の上にでき上がってきたことか。

痛みを知らない者が、軽々しくまちを楽しみ消費して、歯を食いしばってきた人々に、「そんなもんじゃないよ」と思わせ傷つけてしまうことは怖い。
このまちがどうやってここまで来て、今どんな段階にあり、どう進もうとしているのか。悲しい事実も、明るい話題も、両方知ってこそ、未来を描けるのだと思った。

* * *

多くの人に、被災地に行って、おいしいものを食べ、いろんな人に会って、まちを楽しんでほしい!と思う。
そして同時に、「伝承館」のような場所で、災害の恐ろしさと悲しみを心に刻み、被災地の「今」がどのようにしてできあがってきたのかに思いをはせることも、大切だと思う。

「津波を恐ろしいと感じること、それが次の震災に備え、救えるはずの命を確実に救うことに繋がる」
伝承館の入り口にはこう書かれている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?