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復幸の形【宮城旅報告④】
ー8ー
トップの写真はいずれも石巻。
左:私の身長の約4.5倍の高さ、6.9メートルまで、津波は来た。
右:震災後の宅地造成エリアの広場にあるモニュメント。鹿児島市職員が復興に関わっていることの証として、桜島を思わせる。震災を知らない世代も、これを見て、石巻と鹿児島のつながりを知り、記憶をつないでくれるかもしれない。
報告④では、石巻・気仙沼・閖上(いしのまき・けせんぬま・ゆりあげ)を訪ね、印象的だったことを綴ります。
基本情報(わかる範囲で1の位まで書く。ぼやかしてはいけない、重たい実数だと思う)
①震災時人口②死者・行方不明者・関連死③現在人口
石巻:①16万2822人②3977人③14万2638人
気仙沼:①7万4247人②1357人③6万2601人
名取市:①7万3502人②死者964人③7万9197人
「元のまちの、隣近所の付き合いを残したい」
石巻市区画整理課、気仙沼市都市計画課の方に、区画整理が進む地区を案内していただいた。土地と人が、震災後どう変化/移動していったのかイメージすることができた。
・人が住むのに適切でない地域→高台など別の場所に新たな宅地造成、集団移転してもらう
・元の土地→市が買い取り工場誘致
「ここは住んで良し」「ここはダメ。工場に」など、「分ける、建てる、移す」。科学的で客観的に、新しい町の形が決まっていくのだ、と感じた。
「まちの人は新しいまちにどんなことを望んでいるのでしょう?」と職員の方に訪ねてみたところ、
住民からは、「移転後も、元のまちの隣近所の付き合いが残るまちにしてほしい」という声が多いとのこと。
物理的な安心安全や、便利さ、だけじゃない、人とのつながり。これが、いかに切実に求められているかを感じた。
「次また津波が来たら…そういうことを考えていたら何もできない」
名取市閖上(ゆりあげ)の海岸線はまっすぐだ。リアス式海岸(津波が山にぶつかって高くなりやすい)とは違い、津波は高くならないものの、平坦な土地を内陸まで攻めてくる。海岸から1km範囲の建物はほぼ消失。津波は海岸から5~6㎞地点まで到達したそうだ。
どこにも隠れる場所も遮るモノもなく、ただただ平坦。車を走らせながら、「今津波が来たら、逃げ切れないな」と感じた。
それでも、津波で流された店舗を同じ場所に再建した人もいた。「次津波が来たら…そういうことを考えていたら何もできないよ」
「瞬間風速的にあらゆる分野のエキスパートが集まったのに、つなぎ止められなかった」
石巻の人が言っていたことだ。震災後、熱い志といろんなスキルを持った人がまちに入ってきた。でも、その人たちをまちが受け入れられなかった、活躍してもらえなかった、悔しい、と。「新規でIターンを呼び込むことも大事だけど、今いる人や来たことがある人を大切に、定着してもらうことも大事なんだ」
「もったいない」を起こさないための教訓を教わった。
* * *
「復幸」の形はさまざまだ。便利になればいいのか、高台に移って安全が確保されればいいのか、地元の人だけでやっていくのか、外の人とつながるのか。
(旅の話ではないが、)「そらいけ!九州!!そらQラジオ」の2月5・6日分を、ぜひ聞いていただきたい。ゲストは、東日本大震災をきっかけに、岩手県釜石市に飛び込んで官民連携を進めた石井重成さん。今の私と同じ26歳の時に、被災地の人々の熱に触れ、次の日には東京の会社に辞めると伝えて、被災地へ…。https://note.com/soraq2020/n/nd260324bec16
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