精神障碍者になってしまったというショック

 
 最初は鬱になったことがきっかけだった。精神科を受診して、最初の診断は鬱病だったけれども三か月後に双極性障害という診断に変わった。そのときに主治医から、早い話があなたは精神障碍者になりました、というようなことを告げられた。

 その言葉を聞いたときに真っ先に思ったのは、「まじか!わたし精神障碍者になってしまったのか。めちゃめちゃ嫌なんですが、何とかなりませんか」ということだった。正直にいってしまうと本当にショックだったし本当に嫌だった。

 これを読んで下さっている方々の中にはいろいろな方々がいらっしゃると思う。いわゆる性的マイノリティと呼ばれるかたもいらっしゃるだろうし、精神障碍者のかたも身体障碍者のかたも、もちろん健常者のかたも様々な方々がいらっしゃると思う。
 そのなかでも自分がいわゆるマイノリティという場所にカテゴライズされたと知ったとき、もしくは気づいたときに、「ふーん、そうなんだ。で?」というふうに平常心で受け入れたり、「え、まじですか。やった!めっちゃ嬉しいんですけど」というふうに歓喜を持って受け入れたかたも色々いらっしゃると思う。でも、「うわー、今日からワタシは偏見の目で見られる側になっちゃったよ、ショック」っていうかたも大勢いらっしゃるのではないか。

 わたしの場合は後者の方だった。そして自分が障碍者になったと知ったときに、障碍者になるのは嫌だなと思った感情の出処はと言うと、それは結局わたしの中にあった精神障碍者に対する差別意識や偏見だということに気づいた。

 これに気づいたときのショックというかバツの悪さは相当なものだった。それまでのわたしは「障碍者や様々なマイノリティの人たちに対して差別をしたり偏見の目でみるようなことをしては絶対にいけません。そういう人は最低です」と教えられて、また自分自身でもそういうふうに思って生きてきたからだ。それがいざ自分がそういう側に立ってみたら「嫌だ嫌だ、自分は障碍者になんてなりたくない」こんな具合である。

 精神障碍者になったというショックと自分の心の奥底に潜んでいた差別意識に気づいてしまったショック。その自ら抱えていた差別意識が自分が精神障碍者になったということを自己嫌悪に追い込んで、今度はその自己嫌悪が自らの差別意識を培養して、それがまた、という地獄の無限ループ。そしてすっかり塞ぎこんでしまい、死んだように生きる日々へと入っていった。

 ここから抜け出すのにはわたしの場合、それなりの長い時間がかかった。その抜け出す契機となったのが「障害受容の5段階」と呼ばれる考えかただった。

 この「障害受容の5段階」についてはよく知られているので障碍者の方はご存じの方も多いと思う。わたしはいま4段階で奮闘中という感じかな。

 この「障害受容の5段階」について今度書きたいなと思っています。



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