双極性障害と診断されたときは嫌だったな

 令和六年二月十五日 木曜日 曇り/雨

 双極性障害と診断されたときの、驚きやとまどいでどうしようもなく混乱して、思考が一切停止してしまったかのようなあの感覚は、たぶん生涯忘れないとおもう。

 双極性障害は躁転と呼ばれる、気分が高揚しすぎている状態のときに問題をおこしやすい。

 鬱状態のときは行動や振る舞いが極端に過激になってしまうことはないけれど、寝込んでしまい、社会に参加することがむずかしくなる。それで職を失い経済的に困窮することも多い。どちらにしても社会参加が困難になり破滅的な結果を招きかねないことに変わりはない。

 わたしも高校生のころからいろいろと問題を起こしてきた。でもモラルを逸脱した行動をとるのも、反対にひどく落ち込んで寝込んだりするのも、自分の持って生まれた気質だとおもっていたし、育った環境のせいもあるのかもしれないと思っていた。そのころは自分は病気かもしれないなんて思いもしなかった。双極性障害などという病気があることすらしらなかった。

 真っ先に感じたことは、悲しさと恐怖心だった。これらの感情についてはまた書きたいなとおもっている。今回はテーマから逸れてしまうので書かない。

 あなたは双極性障害Ⅱ型ですと医師から告げられた時、いろんなことが腑におちた。いままで自分が繰り返してきた問題行動が双極性障害のせいだったということを知って、目からうろこがおちた。扉が開いてきもちのいい風がふきこみ、暗い部屋の中をひかりがみたしたような気がした。
 なんて大げさなと思われるだろうけれど、ほんとうにそうだった。躁転が収まり冷静な自分にもどり、自分がおこしてきた問題についても自覚していたから、はげしく後悔していたし、罪の意識にさいなまれることもあった。自分はひとを傷つけることを平気で言ったり行動する、最悪な人格の人間だと思っていた。
 それは病気のせいなんだ。君はそんなに酷い人間ではない。死のうだなんて思わなくていいんだよと言われたような気がした。すぐに受け入れることができたわけではないけれど、しばらくすると、これは救済だとおもった。もしかしたら赦されるのかもしれないと。

 でも、だからといって後悔や自己嫌悪までが奇麗さっぱりなくなったりはしなかった。傷つけたともだちの顔がふっとあたまにうかび、罪悪感にさいなまれて消えてしまいたいような気持ちになるなんていうことは頻繁にあった。みっともないふるまいをしたことを後悔してはおのれを恥じた。

 自分がおかした数々の失敗が、思った以上につよくこびりついてしまっていてなかなか剥がれてくれない。そう簡単には赦してくれないんだなって思う。
 
 でも、後悔とか罪悪感とかの向き合い方というか、意識は変化した。病気のなんだから、自分の人格に問題があるわけではないというふうに自分を励ますことができるようになれた。それをふまえていままでのこと、これからのことを考えられるようになった。どこに向かえばいいのかもわからずに、闇雲に歩く必要がなくなったように感じた。これに気づけたことはとても大きかった。

 いまはそういったことを踏まえて、それも自分の運命だというふうにうけいれて、寛解のときぐらいは毎日懸命に目の前にあるやらなければいけないことを、きちんと丁寧にこなして、誠実に人と向き合いながら生きていきたいとおもっている。
 ベッドから起き上がれない時もあるし、どうしょうもなくつらくて、涙がとまらない日もある。うまくいかないこともあるけれど、むしろうまくいかないことばかりだけど、そういうことも受け入れて、少しずつ前に進んでいきたい。そう思えるようになってきた。すこしは進歩しているのかなと思っている。

 

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