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登るというメディテーション

深夜に出発し6時前に登山口に到着する。冬の日帰りはだいたいこのパターンが多い。夏は2時間早くなる。
だから2〜3日前には準備を整え、前日は終業後ただ寝るだけ。可能な限り早く。


朝陽を浴びた影が長く伸びる

標高1,448m。気温はマイナス5℃無風。天気が良いのでここから気温は上がる一方だろう。
林を抜け牧場に出ると一気に視界がひらけた。日の出まもない太陽が、東の地平近くに浮かぶ雲の合間から、オレンジ色の光線を鋭角に射してくる。
ゴールデンアワーである。
オレンジ色の雪面に影が長く伸びる。
早朝は陽が登るに従い風景の色が変化していく。
マジックアワーを楽しみながらノンビリ進む。今日は山頂にこだわらなくても良いかな。と頭をよぎる。
例年より雪が少なく、ずいぶん歩きやすい。


北アルプスの峰々

しばらく、遠く雪を被った峰々を背景に広大な牧場を歩く。
トレースは複数にわたりどれも消えかけている。
人気のルートなので例年しっかりしたトレースがあるのだが、直近で降雪があったのでどれも埋まりかけている。
今日は既に数人が先行しているのでそのトレース辿っていく。踏み跡から3人ほどが先行している模様だが、写真を撮りに来たという人が帰っていった。

紺碧の空に伸び上がる木々

再び林の中に入り、しばらくすると祠が現れる。山家神社里宮。
この辺りから傾斜が出てくる。
雪も深さを増してきているうえ、トレースは深く膝上まで沈むなか進むので時間を要した。
足を止め見上げると、澄み渡った群青色の空が広がっている。ここから250mほどの標高を直登すると林を抜け、岩が露出している場所に出てきた。
岩にあたるアイゼンの音が耳障りだ。
ほどなく、下山して来る人に出会う。足元はスノーシュー。この人のトレースを歩いてきたので御礼方々話を聞くと、この先踏み跡はなく胸まで潜るので断念して下山するのだという。
少し躊躇しながらも折角来たことだし、天気も良くまだ時間もあるので進んでみることにした。

ここから先の踏み跡はウサギだけ

この後トレースは細く深い。先行者は一人のようだ。
トレースはあるが腰まで沈むなか進むのは大変だが、楽しくもありいい気になって進んでいった。分岐で先行者に追いついた。
「初めてで、道も不安だったのでそろそろ帰ろうかと思っていた」とのことだった。先頭を代わりラッセル始める。
何度も来た道なので道は確かである、しかし胸まで沈む。本当に胸まで沈む。
先ほどまで雪少ないとボヤいていたが「もう十分です」と空を仰ぎ一念する。
空はどこまでも蒼く、道はどこまでも白い。
なんと素晴らしい世界だろう。
雪の中に胸まで浸かりながら、今この自然と同化していることを実感し、その歓喜を前進する力に変える。満面の笑みである。
その顔は全て覆われその表情は側からは分からないだろうが笑っているのである。

汗が流れ、脈が早まるのを感じる。呼吸を感じる。意識的に大きく深呼吸をする。
一息ごとに鼻から、口から、冷たい澄んだ空気が気管を通り肺を充足するのを感じる。何気ない一歩が、ここでは強い意志と力を持ってのみ繰り出すことができる。

時間も、天候も、進むべき道も、体力も不安はなかった。
ただ無心で山頂を目指すだけであった。
無心ゆえ、身体を通り過ぎる風の優しさを感じる。頬にあたる陽の光の暖かさを感じる。包み込むような優しい山の香りを感じる。正体を知らない山の声が聞こえる。優しさを感じ優しさを取り戻せる。
ウサギの足跡が我々を導くように青空に向かって伸びている。
どこへ向かうのだろう。

紺碧の空に向かう

3人になったことでラッセルは楽になった。3人目の位置はとても楽に歩ける。先頭が大変なのは当然だが、二人目もまだ歩きづらい。しかし3人目になると一気に楽になる。体力を回復できる。写真を撮る余裕もできる。
山頂はより近くなった。

空はどこまでも青い。群青色の空に向かって白銀の道が伸びている。
その先に向かって歩いていく。
青い空に吸い込まれていくような錯覚を覚える美しい空に向かって。

信州と上州の境
空に境は関係ない

祠がある。山頂標も。
力を合わせ山頂に着いた。
何度となく来た道だが毎回違う顔を見せてくれる。
違う体験をさせてくれる。
だから飽きることはない。
同じ山、同じルート、同じ季節、毎度違う表情。
自然はそれほど単純ではないが、時にものすごく単純でもある。
人間ほど複雑なものはないだろう。
だからここに来る。
だからやめられない。
いつかその日まで。

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