「痛み」を言語化できる人になりたい

 こんにちは、雪乃です。毎日暑いですね。アマゾンの支払いのために近くのコンビニに行っただけで死にそうです。
 ゼミの先生から「買った方がいいよ~」と言われていた新字源、やっとポチりました。注釈書と岩波を並行して遊仙窟を読んでいて、さすがにこれはちゃんとした辞書を買わないと進まないな、とやっと気づくなど。

 最近パソコンを使う機会がぐっと増えたので、過去に書いた小説を読み返したりするようになりました。
 今のパソコンにデータが残っている中で一番古いものは、中学生のときのものです。とはいっても小説の形を成してはいなくて、キャラクターの設定とざっくりしたストーリーしか書いていないのですが。
 きちんと小説を書き始めた、というかちゃんと「完成させること」を始めたのは高校生に入ってからでした。文芸部に入ったんですね。大学生になってからも変わらず文芸サークルに所属して小説を書いています。また、大学に入ってからは友人との合作でサークルとは全く関係のない小説を書くようにもなりました。

 前置きが長いですね。すみません。で、そんなこんなで書いてきた作品を改めて読み返してみたら、ある共通点がありました。それが、「痛み」をテーマにしていることだったんです。
 肉体的なものよりも、精神的なものが多いですね。まあ、部誌に載せる小説として肉体的な方を書くと色々とアレなんで……(ちなみに高校時代の某友人はガチでR18Gを書いて顧問の先生から発禁を食らった)(もっと言うと人が死ぬ話を書きすぎて部員全員で先生に注意された)。
 共通するテーマなんて今まで考えたこともなかったので、気づいたときは割と私の中で大発見でした。よく考えたら読む側としても「痛み」が表現されている話が好きでした。そりゃミュージカルのオンユアフィートと朝ドラのスカーレットにハマるはずよ。

 一番初めに書いた作品とか、ほんともう読んでるだけでパソコンの液晶に頭打ち付けたくなるレベルだし、中二病現役時代のノート開くたびに叫びたくなります。それでも削除できないし捨てられないのは、きっと私の核になる部分だから。高1の一作目、どこかでリライトしてちゃんと出したいです。

 切ないとか悲しいよりも、「痛い」という言葉が似合いそうな作品を作ることを、私は無意識のうちに目指していました。noteにアップしたものでは、「さよなら、未満」と「すくう」は割とその色が強いような気がしています。あと、夜中の1時くらいにあげた謎文章とかも含め、エッセイ系は割とそういうのが多めかもしれません。

 誰かの救いになりたいとか、そんな高尚な目的はなくて、それでも書き続けていれば、少しだけ、少なくとも自分の生きる助けにはなってくれるかなあとふと思いました。

 私の理想は、DREAM!ingというソシャゲのストーリーです。青春の持つヒリつくような痛み、揺さぶられて、それでもなおブレない心を持って成長する心、やりたいこととやるべきことの中間にある空白を完全に言語化した名作です。ドリミは文学。

 他人の痛みはその人にしか分からないから、私はせめて、自分の中に在る痛みを言葉にしたい。それが結果的に誰かの心に響いたら万々歳ですけど、それ以上に、自分のために言葉をつづっていきたい。

 私は、文章を書くことを供養だと思っています。飲み込んでしまった感情をなかったことにしないために、アウトプットをするようにしています。言いたかったことをnoteという言葉の河に流して、インターネットの海に溶かして、ようやく心を清算できるように感じられるのです。

 いやしっかし、こんな謎の自分語りに付き合ってくださった方、マジでありがとうございます。お疲れ様です。でもたぶん、私はこれからもこういう文章しか書けないのです。実は前のアカウントで書いていてこちらのアカウントでは一切触れていないテーマもあるので、そのうちちゃんと、それこそちゃんと「供養」したい次第。

 この文章を今、「Dear Evan Hansen」というミュージカルの楽曲を聞きながら書いています。公式チャンネルで何曲かフルで公開されているやつです。トニー賞受賞作なだけあってめちゃくちゃいいですね。昨日辞書ポチったときにCDも一緒にカートに入れれば良かった。
 「Waving Through a Window」というナンバーがあるのですが、日本語訳を見たらすさまじく心に刺さるものでした。いやなんで私CD昨日買い忘れたんだ。そのうち日本でやってくれないかな。

 短歌でも小説でもエッセイでも、形式を問わず「痛み」という核は失わないようにしていきたいです。短歌も、たぶんどっかでアップするはず。たぶん。今後も変わらずこんな感じのノリの自分語りしかできませんが、お付き合いいただけましたら幸いです。

 ここまでお読みいただき、ありがとうございました。