私が卒論のテーマを決めるまでと、それからの話

 こんにちは、雪乃です。「学問への愛を語ろう」というハッシュタグがあったので、せっかくだし私の大学生時代の専攻のお話をしようと思います。

 私は日本文学科出身です。最終的に万葉集で卒論を書いたのですが、そこに至るまでにはいろいろとありました。

 まず、1年生から振り返ってみます。もともと「うた恋い。」をきっかけに和歌が好きになり、日本文学科に入学した私。必修科目が多かったこともあり、最初からがっつり上代文学に取り組んでいたわけではありませんでした。変体仮名の学年末のテストで爆死したことはもはやいい思い出です。
 上代から近代まで幅広く授業で学んでいく中で、平家物語もいいな、と思ったこともありました。でもやっぱり中古文学も好きでしたね。贈答歌が好きで、中古文学の授業は上代をやると決めた後も取り続けていました。
 日本神話が好きだったので古事記や日本書紀に興味はあったのですが、当時はまだまだ上代文学に照準が定まったわけではなくて。本格的に「上代文学」、もとい「上代語」に興味を持ったきっかけは、夏休みだったかと思います。
 学校から借りてきた古代日本語の本。そこで、万葉集では「恋」を表記するのに「孤悲」という漢字をあてていたことを知ります。そこで初めて、万葉集っていいな、と思い始めました。

 2年生になり、演習の授業は万葉集を選択しました。確か有馬皇子の歌をやっていたかな。他にも、万葉集の表記に関することを調べたりしていました。
 万葉集は平仮名や片仮名が登場する以前の歌集です。漢字の音を日本語の一音に一文字ずつ当てはめた万葉仮名ですべて書かれていれば良いのですが、あいにくそういうわけにもいきません。大半の歌は、中古から中世、そして近代に至るまで頑張って学者が読み解いてテクストになっています。それゆえに本によって訓が違ったり、読み方が定まっていない歌があったり。そういう「ゆらぎ」はやはり平仮名登場以前の上代文学ならではで面白いと思いました。

 この頃の時点で万葉集は好きでしたが、まだ卒論にしようと思ってはいませんでした。むしろ風土記や神話、歌謡の方に興味を抱いていました。歌謡の、まだ5・7・5・7・7の形式が定まる以前の独特のリズムや、他の時代にはないプリミティブで独特な響きに惹かれていました。一方の風土記は、土蜘蛛などいわゆる「まつろわぬ民」系のエピソードが好きなので興味を持っていました。
 万葉集の中で当時興味があったのは、東歌や防人の歌。東歌は方言が出てくるのが面白かったですし、防人の歌はそのストレートさに胸を打たれました。しかし一番惹かれたのは、東歌にしろ防人の歌にしろ、それが庶民の歌であったということ。歌はみんなのもので、そんな境遇のひとにも寄り添ってくれる。そんな歌の数々が収録されている万葉集を手に、少なくとも卒論のテーマは上代にしようと思いました。

 余談ですが、上代文学以外で特にやってみたかったのが実は日本語学。方言が好きだったのですが、「発音記号がよめなさすぎる」「アクセントがわからなさすぎる」などの理由により、日本語学以前にそもそも言語学が向いていないと感じて諦めました。上方ことばの本を読むのは好きだったんですけどね。

 そして、3年生。じわじわと、本格的に卒論のテーマを定めなければならない時期が近づいてきます。
 上代をやると決めてからも、テーマは迷っていました。そこでパソコンの中から、あるレポートのデータを取り出します。それが、1年生のときに書いた万葉集のレポート。大伴旅人の、「梧桐の日本琴」に関するものです。当時は本格的に上代文学をやっているわけではなかったし、レポートの書き方もよくわかっていなかったし、とにかく色々なものが足りていませんでした。
 とにかく1年生の頃の自分にとって興味のあるトピックだったことは事実だし、一旦この「梧桐の日本琴」についてしっかり調べてみようと決めました。しかしその時点ではこれを卒論にしようと決めたわけではなく。流れで同じ大伴旅人の作品「松浦川に遊ぶ」を調べていくうちに、次第に万葉集に収録されている「虚構」に興味を持ち始めます。

「この歌を扱いたいなら、『遊仙窟』は読んでおいた方が良いよ」
「梧桐の日本琴」と「松浦川に遊ぶ」を調べていたとき、先生にそう言われました。遊仙窟。唐の時代に書かれた、中国の小説です。「梧桐の日本琴」「松浦川に遊ぶ」はどちらもこの『遊仙窟』に影響を受けていると先行研究や注釈書で指摘されていました。
 さっそく探して『遊仙窟』を読んでみることに。そしたらまあ、圧倒的に詩が多い。とにかく詩、詩、詩です。ストーリー自体はかなり単純で、仙境に迷い込んだ主人公が仙境に住む美女に歓待を受けつつ夜を過ごし、翌朝仙境を立ち去るまでを描いています。恋の駆け引きはあるのですが、要約するとストーリーは本当にこれだけです。「仙窟に遊ぶ」の名に違わず、マジで遊んで帰るだけ。目玉はとにかく、主人公と美女の機知に富んだ色香あふれる詩の贈答です。

 と、そんなこんなで私は卒論に関して「梧桐の日本琴」と「松浦川に遊ぶ」に照準を定めると決めました。

 ここで「梧桐の日本琴」と「松浦川に遊ぶ」についても触れておきます。

 「梧桐の日本琴」は、大伴旅人が藤原房前に贈る琴に添えられた書簡文。ただこの琴を贈ります、と書いているのではありません。この琴が夢の中で女性の姿となって現れ、「この音を理解してくれる人のおそばにいたい」みたいな歌を詠むのです。
 一方の「松浦川に遊ぶ」は、松浦川に遊びに行った語り手が松浦川で美女と出会い歌の贈答を交わす、という筋。この歌群、作者に関しては解釈が分かれているのですが本筋を逸れてしまうのでさすがに割愛します。

 この2作品は物語性が強く、なおかつ語り手以外の、独立した言葉を持つ「キャラクター」が登場します。琴が擬人化された女性――「琴娘子」と、松浦川の女性。『遊仙窟』との関連性を中心にしつつも大伴旅人の虚構について考え、そして主軸を私が愛してやまない「ヒロイン」に定めました。

 『遊仙窟』は前述の通り美女とのめくるめく一夜を描いているので、当然ヒロインがいます。十娘という女性です。五嫂という女性も登場するのですが主人公と最終的に結ばれるのは十娘なので、ヒロインについて考える上では十娘を中心に書きました。

 美しく、教養があり、奥ゆかしいかと思えば語り手=主人公に対しては積極的。こんなヒロインに対して「都合が良い」とか書いていたらさすがに先生に指摘されましたね。私が創作をする上でこじらせつつ醸成したヒロインに対する偏りのある思想がここにきて爆発した結果です。「あ~十娘が主人公をひたすら振りまくって全然結ばれない話だったらもっと好きになってたわ~」と唐時代の作家とヒロイン像に対する解釈違いを起こしつつ、どうにかこうにか書き進めていきました。

 あと、『遊仙窟』について書く際に表現がきわどすぎるという理由でご指摘を賜ったのですが、さすがにこれは私のせいじゃないと思います。普通に危うい詩をブッこんできた『遊仙窟』の原作者のせいだと信じてます。

 当時を振り返ると就活が本当にやばくて、先生に「かなりやばいです」と自己申告して卒論の中間提出の締め切りを延ばして頂いたこともありました。それでも何とか完成にまでもっていけたのは、何もまとまっていない段階からご指導くださった先生、テーマは違えど同じゴールに向かって走っていた同期と、何より万葉集のおかげだと思っています。大好きな歌がずっとそばにいてくれたから、私は最後まで卒論を書くことが出来ました。

 最後に、私が好きな大伴旅人の歌をとりあげてこの記事を締めようと思います。

生ける者 遂にも死ぬる ものにあれば この世なる間は 楽しくをあらな
(万葉集 巻3 349番歌)

生きている者は結局死ぬのだから、この世にいる間は楽しくあろう、という歌です。この精神で生きていきたいです。

 本日もお付き合いいただきありがとうございました。




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