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これから、猫と彼女と 1

「人間の価値って、どうやって決まると思う?」
 坂本悠太が、タリーズコーヒーでアイスコーヒーを飲んでいると、後ろからそんな台詞が聞こえてきた。悠太はその時、スマホで求人サイトを眺めていたが、つい、体を固くしてしまった。
「そりゃあ、やっぱり、どれだけ善いことをしたか、なんじゃない?」
 悠太の後ろで、そんな会話が続く。女性二人組の、その会話から意識を離したくなって、悠太はわざと音を立てて、ストローでアイスコーヒーの残りをすすった。
 求人サイトを目で追っていたが、集中力がなくなってきた。
 女性たちの会話は、しばらくして最近のドラマの話題に変わったようだった。彼女たちの会話に、傷をえぐられたような気持ちになったのは、恐らく、自分には価値なんかないんだよな、と思いながら、退社したからだろう。
 大学を卒業してから勤めている会社に、最近限界を感じるようになってきた。
 その理由は、今年になって新入社員の指導役をするようになったからだ。人に教えることは、実はかなり苦手だ。
 悠太はふと、母親からよく言われた言葉を思い出した。

 悠太は、一人っ子だから。

 その言葉は、主に悠太が何かを失敗した時に使われた。悠太にとっての、免罪符の言葉でもある。
 これから、もっと面倒臭い仕事が増えていく。それなら、早めに撤退をしたっていい。そうすれば、自分より年下の人間から、同情の目で見られたり、上司からチクリと嫌みを言われることもない。
 悠太は、スマホの時計を確認する。夜の八時を過ぎている。なんだか今日は、むしゃくしゃして、時間をつぶしたくなった。酒が飲めたらストレスの発散が出来たかもしれないが、あいにく、酒は全く飲めない。
(弁当でも買って帰るか)
 そういえば、夕飯も食べていなかった。後ろの女性二人組は、まだ話し込んでいる。立ち上がった悠太を、女性たちがちらりと見た。そしてまた話し出す。
 なんとく嫌な感じを覚えたまま、返却口に向かうと、しわになったレシートが放置されていた。悠太は、少しの間、そのレシートを見つめる。プラスチックのコーヒーカップを捨てた後、そのレシートを掴んで、ゴミ箱に捨てた。
 少し得意げになって店を出たが、歩いている内に、自己嫌悪に陥った。
(ちっちぇなあ)
 自分の価値を高めたら、仕事も上手くいくようになるのか。
 善行を積んだら、仕事ができなくても認められるのか。
 そこそこの凡人だから、価値なんて言葉に振り回されるのか。
 街の中を歩きながら、悠太はウィンドウディスプレイの前で立ち止まる。夏向けの洋服が着せられたマネキンを見る素振りで、ガラスに映し出される自分の姿を眺める。
 一七〇にも満たない身長と、太れない体質。
 二十六とは思えない童顔を、なんとか眼鏡でごまかしている。 
 自分のことを「僕」と言い、いつも弱そうに見られている。
 好きなものは、猫とコーヒーと、忌野清志郎。
 彼女いない歴五年。
 こんな「持ち物」で、価値なんか作れるはずがない。悠太はそう思いながら、また歩き出した。
 善行を積むチャンスは、突然やってきた。
 神が、悠太に価値を与えるための、きっかけを作ってくれたのかもしれない。タリーズコーヒーを出てから、二十分後のことだった。

原稿用紙30枚程度の作品です。
少しずづアップしていきます。

#小説 #短編小説 #創作 #猫




 

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