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イッチョカミの精神で仕事をとる

「あんたってイッチョカミだよね。でもまあ、それで通用しちゃってるのは、そのなんともいえないものすごい楽しそうな笑顔が引き寄せてるんだろうけど」

そ、それは褒められてるのか?

「最近、ありがたいことに仕事がぼんぼこ舞い込んでくるんだけど、さすがにさばききれなくなってきた」

とぶつぶつ言った際の友人の返答である。

なんでも「イッチョカミ」というのは関西弁で

なんでも首を突っ込む人
広く浅く、とにかく自分のアンテナがたっちゃったら興味を示す人

という意味なんだそう。

確かに・・・わたしはイッチョカミだ。

誘われればホイホイついてくし、気になるものを見つけたらふらっと足がむかっちゃって、友人とはぐれるなんてことは日常茶飯事。
インタビューなんてそれこそ大好物。
ほぼ初めましてだから、

「今日はどんなお話が聞けちゃうんだろうか」

なんて想像するだけで、ドキドキワクワク。

まあ、そんなだから興味があるパーティーやら集まりやらボランティアやらは確実に行くし、名刺もバンバン渡す。

聞く力が乏しい人だから、自分のことを聞かれると意気揚々と答え、自分の興味あるものを押しウリする。

すると、なんとなく覚えててくれるのか、声をかけてくれるのである。

宣伝しまくるだけでなく、もちろんポートフォリオみたいなものも用意しているから実力のほどはなんとなくわかってもらえているとは思うが、よくもまあこんな子供がそのまま大人になったような人に声をかけてくれるもんだと思う。

さらに、何回か仕事を一緒にした人が別の案件で違う仕事を紹介してくれたりなんてラッキーなこともある。本当にありがたい限り。しかも、自分の仕事を評価してくれて、他の人にもおススメしたいと思ってくれているわけだから、小躍りしちゃうくらいうれしい。

この場合、紹介した人に迷惑をかけないためにも全力でやらねばと力が入る。

大人になるとこのイッチョカミ精神はどんどん薄れるんだそうだ。例外的にわたしみたいな、年をとればとるほどイッチョカミが止まらない人もいるらしい。
新卒からずっと同じ会社で20年以上働いている友人Aは
「今更、転職なんて無理。新しい仕事を覚えるのもおっくうだし。仕事が楽しいわけじゃないけど、めんどくさいのもいや。」

なんていう。

確かに慣れ親しんだ場所というのは居心地がいいし、自分の気の合う人がわかるからコミュニケーションもとりやすいのだろう。

私のことをすごいと友人はいうが、逆に同じ会社で20年以上も働いている友人のほうがすごい。
超大企業なら移動があって新鮮味も味わえるだろうが、友人は中小企業だから多少のメンツは変わっても働く場所も業務も一緒。

ほんとにすごいことだ。

私なんて3年であきて、会社をやめ、バックパッカーで全財産を使い果たし、また働くということを繰り返し、上場企業で働いている弟に

「女は楽でいいよな」

と人権で訴えてやる!ということを言われていた。

人それぞれなにがあっているかはさまざまだが、フリーでしかもライターなんて仕事をやるなら人脈は命。となるとイッチョカミ精神は重要だと思う。

もともとがさぼり癖のある人なので、労働組合があってさして仕事をしなくてもクビにならずにそこそこ給料もあがっていく企業に勤めていたら、きっと何も成長しようとせずに、うまく力をぬいて、だ~らだら暮らしていたと思われる。

といっているが、就職活動時はネームバリューがある企業にももちろん応募した。が、就職氷河期世代、たいした学歴も資格もなく、さらにどうにもこうにも知的とはかけ離れた幼児体形で、しかも笑うとあほっぽさ満開の顔写真では受かるはずもなく、ことごとく落ちた。

まあ、結果、落ちたおかげでバックパッカーでふ~らふらできたし、そのおかげでライターなんて仕事にもつけたわけだし、自分にはこの転職スタイルがあっていたんではなかろうか。

人生、いつ終わりがくるかわからないがワクワクドキドキした方が楽しいので、イッチョカミ精神で新たな出会いを求めたい。

そもそもなのだが、集中して原稿を書いていると一言もしゃべらない日がある。ちなみにまさに今日。電話もならず、オンラインMTGもなく、日本語を忘れちゃいそうになるくらい。

コロナでますますイッチョカミ精神が爆発中なのである。

今日も読んでくれてオブリガード(ポルトガル語)。ちなみに女性はオブリガーダ

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