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便利さの先には退化しかない

今朝、NHKの番組で

「スマホで検索した場合と辞書で調べた場合のどちらが記憶に残っているか」という実験がされていた。

めちゃくちゃ気になる。としげしげと見ていると、前頭前野の活動表が出てきた。

脳のことはあんまり詳しくはないけれど、前頭前野とは思考や創造など、人間らしい行動をするための脳部位で、動物と比べると人間はこの部分が非常に発達しているのだそう。

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これを見ると一目瞭然。スマホで検索したものよりも、辞書で調べた場合のほうが記憶に残っている確率が高い。
実際に、数分間、5個の単語を調べてもらい、その後、単語の意味を書き出してもらうという実験をしたところ、

スマホ検索は、なんとなくは回答できるものの、完全に正解といえるものがなく、一つも正解がないのに対し、辞書で調べた場合は、確実に2個は正解していた。

ほほお。確かに身に覚えがある。

というのも、気になると調べないと落ち着かない私は、出先ではスマホで検索して、その場であ~そうかと納得するも、家に帰るころには、結局、なんだったけ?ともう一度検索して、あ~そうそう、そうだったとまた納得するもやっぱりまた忘れているという繰り返し。

が、家で原稿を書いているときや新聞を読んでいるときに気になる言葉や熟語を辞書で調べた場合は、ほぼ記憶に残っている。

最近は、年のせいもあって昨日食べたご飯や、何かものを取りに行って
「何とりにきたっけ?」
なんていうこともしょっちゅうあるけど、それはおいておいて辞書で調べた単語はそうそう忘れない。

端くれにもライターなんて名乗って、ものを書く仕事をしているからには
単語力も必要でしょうよと思われるかもしれないが、別にライターなんて語彙力がなくてもなれるのだ。
確かに、語彙力があれば表現力の幅も広がるし、ないに越したことはないけれども、万人が読みやすい文章というものは、普段会話で使っている単語をちりばめたほうが、頭にす~っと入ってくるものだから、小難しい言葉を使わないほうが読みやすい場合が多々ある。

とはいえ、文字の使い方にはしょっちゅう迷うので、記者ハンドブックは手放せないし、自分が書いた言葉は表記辞典とかひいて調べる。仕事ですからね。

プライベートでも、私は活字中毒者なので毎朝新聞を読まないと落ち着かないし、まだ読んでない本が手元にないと、い~ってなるし(←でも買いすぎて積読中)自分の不得意分野でも、日経土曜日の書籍おすすめコーナーで強烈にプッシュされるとつい買ってしまう。
が、未知なる分野の本は、次から次へと知らない単語が出てきて、なかなか先に進まない。
わからないことを、あいまいなまま先に進めない厄介な性格なのだ。
だから、学生時代、冒頭にわからない問題がくると、ず~っとその問題と向き合ったがために最後まで解けずに、赤点とってしまったなんてこともある。

と話しが脱線したが、要はスマホで文字を打ち込むだけで、楽に回答を得られると脳に定着しないということ。
辞書の場合は、まず重いから持ち運べないし、辞書を取りに行かなければいけない。さらに、そこから、あかさたな~なんて50音を唱えながら、知りたい単語が掲載されているページまでたどりつかなければいけない。
そういう手間暇が、脳に定着するのだ。

スマホがあれば、調べものもできるし、友達と会話もできるし、メールも送れるし、お金も払えるし、時間もわかるし、健康状態もチェックしてくれる。さらにはツイッター、FB、インスタなど暇つぶしにももってこいと至れり尽くせりだけど、そうなってきちゃうと、最近よく言われるスマホに使われてしまう人間になってしまう。

NHKでも最後に、スマホに使われないために電源をオフにする、見る時間を決めるとかいろいろやってたけど、見るのが習慣になっていたらまず無理だろう。

私の場合、電車でスマホをみると、酔うから見られないという身体的な拒否、寝る前は本を読むからみない、そもそも、ツイッターもインスタもスマホではログインしてないので通知もこない、ラインは通知オフだからきても気づかないというよりも、いつもかばんに入れっぱなしだからたまに持っていることを忘れる。

ということで、まあ、依存しないですんでいる。
そういえば、会社の若手社員と連絡を取り合わないといけないからというのでじゃライン交換しようか?と言ったら
「インスタでお願いします」
と言われたことがあった。
ラインはプライベートでは教えないらしい。
ラインとインスタの違いがよくわからないけど、しょうがないからインスタのアカウントを教えた。しかし、そもそもログインしてないからメッセージが送られてもまったく気づかず、

「連絡したのにみてないんですか?」とイライラされたけど、そもそもラインを教えないからこういうことになるのである。私を責めないでいただきたい。

ともあれ、スマホで調べたりしたものは脳に残らないということがNHKによって実証されたので、外で気になったことは気になるものの、メモに記入しするにとどめ、自宅で辞書を使って調べることにしようと思う。


それと、よくあるのが、あれ、あれ、なんていったっけ?ってやつ。

こないだなんて、八代亜紀が出てこなくて

「化粧濃いようにみえるけど、実は顔が濃いだけで薄化粧な演歌歌手」

とわけのわからない説明をして、友達から
「誰か全然わからないんだけど」

と笑われたこともあったけど、すぐに調べないで頭のストレッチをするという観点で思い出す努力をするのもいいと思う。

もう一つ、最近スマホでお世話になっているのがグーグルマップ。
GPSを起動するとどこにでも連れて行ってもらって便利だけど、スマホをみて歩くと危険だし、ナビしてもらうことをやめる。
昔バックパッカーしてたときは、そんな便利なものはなくて、地図を頭に入れて迷いながら歩いたもんだから、それを思い出せばいい。しかも、記憶を頼りに自分の頭で考えながらたどりついたほうが道も覚える。

よく車を運転しているときは道を覚えるけど、助手席に乗っていたり、
誰かに連れて行ってもらうと道を覚えないというあれ。

いろいろ書き出していくと、便利の先には退化しかないんだなと実感したのである。


番外編
私が活字中毒者になった理由

活字中毒者へとへと導いてくれたのは中学の同級生。
いつも学年ベスト3に入る子の机でしゃべっていて、ふと気になったのが妙にふくらんだ辞書。

「なんで、そんなに英語辞書膨らんでるの?水にぬれた?」

と聞いたら

「読んだページをくしゃくしゃにしているの。単語を調べたらその単語があるページと裏のページをついでに読むようにしてるんだよね」

「辞書って読むもんなの?調べるもんでしょ?」

って聞いたら

「読むと面白いよ。例文とかアメリカの習慣がわかったりするし」

ってほんとに中学生かよという回答。
ただ、頭がいい子の真似をするのは大事と、それまでは単語を調べるため、最初の1行くらいしか見ていなかったものの、例文まで全部読むようにしたらこれがなかなか面白いことに気づいた。さらに、その前後にある単語も読んでみると、意味が似ていたりするものが多いから似た単語の意味を間違わなくという副作用も。
さらに、辞書を引くではなく、読むようになったことで、英語の成績がうなぎ上り。身になっていることが実感でき、先生に褒められると、ますます調子にのりまくり、辞書読書にはまるという好循環。

こうして、辞書を本として読むという、ちょっと変わった中学生になったのであった。

子供の成績を伸ばしたいお母さまがた。辞書をひく習慣をつけさせてみてはいかがだろうか。

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