【新世紀の流行歌 3章】 「アンドロイドの奏でる音楽」

 ユイネはわたしの顔を眺めて、大きくため息をついた。

「あなた、わたしのことは知ってる?」
「……はい」
 やっと声が出せた。
「そう、なら話は早いね。わたし、しばらく身を隠さないといけないの。あなた、これからすぐここを出ていける?」
「それは、できません…」
「なんで?」
「行く宛のないアンドロイドは、見つかればすぐにスクラップ行き……。よくてリユースステーションに送られて、初期化されて、意識も何もかも失ってしまいます」
「それの何が問題なの? アンドロイドがそんなこと気にするの?」
  返す言葉がなかった。それもそうだ。わたしはなぜ、こんなことを考えているんだろう。
 ユイネはもう一度、より大きなため息をついた。
「もういい。いいよ。ここにいても。どうせ一時しのぎの場所なんだし」
 ユイネはそれだけ言うと、わたしを押しのけて部屋の中へ入っていった。
 そしてすぐに振り向いた。
「よくこんな古くて汚い部屋に……信じらんない! ルームスプレーの一つもないの?」
「特に気にならないので……」
 わたしの視線に対して、ユイネは何か言いたげで、それを我慢しているように見えた。ひどい罵倒の言葉でも思いついたのかもしれない。明らかに苛立っていた。
 ユイネはベッドに座った。
 管理人はユイネに挨拶だけして立ち去った。
 わたしは部屋の扉を閉めた。

 わたしは、キーボードの前の椅子に座った。
「あの、追い出さないでいてくれて、ありがとうございます」
「別にあなたのためにやったことじゃない。あのまま押し問答でもして、周りから注目を集めても面倒だっただけ」
 端末を触りながらユイネはそう答えた。沈黙。ユイネは明らかに不機嫌そうだった。それでも、わたしはユイネと話をしてみたかった。
「わたし、実はいま…つい最近なんですけど、音楽づくりを始めて……」
 ユイネがわたしの方を見る。
「そのキーボードで?」
 わたしはうなずいた。
「ふざけないで。ただでさえおもちゃみたいな存在のあなたが、そんなおもちゃで音楽づくり、だなんて、一体、何を望んでるの?」
 ユイネの表情がみるみる怒りに淀んでいくようだった。ユイネの問いの答えも、何がユイネを怒らせてしまったのかも、わからなかった。

 ◯

 どれくらい時間が経っただろうか。10分かもしれないし、1時間かもしれなかった。
 わたしはようやく思い立って、キーボードに手をかざした。
 ユイネはまた、怒るだろうか。たとえそれでも構わない。わたしは好きな歌の好きな言葉を、声にして、歌い始めた。
 
 だから、雪に降る ぼくらが泣いていたように
 ずっと昔から決まっていたみたいに
 街灯に照らされて淡く光る 真夜中をひとりきり

 一節を歌い終えて大きく呼吸をした。
「……なんのつもり?」
 ユイネは怪訝な表情を浮かべていた。
「……なんのつもり?」
「ただ、好きな歌を歌っただけ、です」
「本気で言ってるの?」
「はい」
 わたしはユイネの眼を見た。顔を見た。髪は美しく、前髪から透けて見える額は広い。かわいい顔だな、と思った。
 ユイネはわたしのどこを見ているのだろうか。
 ふう、と息を吐くのが聞こえた。

「……あなた、型番は?」
「SBL-4204AP、です」
「ふうん、やっぱりAP型なんだ。4204だなんて旧式なのに、見た目だけはほんとうに人間っぽい。……あなた、セクサロイドなんだってね」
「……はい」
「ねえ、どういう気持ちで生きてるの?」
 わたしはその問いには答えなかった。
 まあ、答えられないか、とユイネは笑った。
「……ユイネさんの型番は?」
「なに、知りたいの? SBL-9920VL。まあ、あなたとは違う最新型ってこと」
 9920……。それにVL型。目の前で得意げに話すユイネを羨ましく、そして、ほんの少しだけ憎らしく思った。
 こんな気持ちは、初めてだった。

「わたしたちの、『MEITEI』って曲はもう聴いてくれた?」
 小さくうなずく。
「じゃあ、『MEITEI』のなかでさ、いまあなたが歌った『ユキニフル』が使われてたのは知ってるよね」
 またうなずく。
「わたしも、『ユキニフル』はとても好きな曲なの。あれはね、相方のミナトってやつが、わたしに好きな曲を聞いてきて、それで答えたらあんなふうに使われちゃったんだ。でもあいつの作る曲は結局人気が出るから、わたしも拒否できなかった」
 ユイネは自嘲気味に語っているけれど、悔しさが滲んでいた。
「でも、自分と同じ曲を好きな相手に合うなんて、本当に久しぶり……というか初めてかもしれない。少し報われた気分……そういえば、あなた、名前は?」
「イクハ……」
「わたしはユイネ。よろしく、なんて言わないから。でもさっきはひどいこと言ってごめん」
 ユイネは申し訳無さそうに微笑んだ。やっぱりユイネは可愛かった。


 ユイネが部屋に来てから4時間近く経った。もうすぐ日付が変わろうとしている。わたしたちは時折キーボードを弾き、時折歌い、そして二人の好きな音楽の話を続けた。
「でも、ユキニフルって全然売れなかったよね」
 ユイネが笑いながら言う。
「うん、わたしも偶然知ったくらいだし……。でもモノーディアはすごいね。今日、朝のビジョンで見たけど、ワンマンライブもやるんでしょ?」
「そう、4日後。よかったら来る?」
「え、でもたしかソールドアウトだって」
「関係者席用の招待券はあるから。端末のID教えて」
 言われたままにIDを伝える。
「はい、送っておいたから。これで当日入れるよ」
「ありがとう……。でも、大丈夫なの? 襲われていま隠れてるってことは、ライブなんてやったら危ないんじゃない?」
「たぶんね。でも危ないからって、歌わないくらいだったら、生きている意味なんてないから」
 ユイネの覚悟にわたしは何も言えなかった。歌唱は作詞や作曲と違って<創作>とはされていない。だから、ボーカルの世界はアンドロイドで埋め尽くされている。歌はろくに歌えないわたしにとって、ユイネだけじゃなく、ステージに立つことが認められている歌を歌うアンドロイドたちには嫉妬していた。でも、ユイネは本当に命を懸けているんだ。そう感じた。
「ところでさ、イクハ。あなた普段遊びに行くところとかないの?」
「ないよ。普段は仕事場と家の往復だけだから」
「なあんだ。どこか連れて行ってもらおうと思ったのに」
「どこかにって……。せめてライブまではじっとしてたほうがいいんじゃないの」
「大丈夫。顔さえ隠せばそんなに危なくないよ。襲われたのだって、生放送の配信帰りで場所がバレてたからだし」
 ユイネは飄々と言う。
「でもどっちにしたってわたしは遊び場なんて……」
「じゃあさ、わたしの遊び場に来ない? 招待してあげる」
「え?」
 ユイネがわたしの手を取った。わたしの肌は温度を検知することはできない。それでもなぜか、ぬくもりを感じた気がした。
「きっとイクハにとって楽しい場所だと思うから」

 眼鏡と帽子を身に着けたユイネはそれなりに雰囲気を隠せていて、普通の少女のようにも見えた。ユイネに連れられるがままに、わたしたちはタクシーに乗った。ユイネは運転手に地名を告げる。運転手は淡々と返事をした。彼は人間なのだろうか。それともアンドロイドなのだろうか。どちらにも見えた。わたしの視線を察してか、ユイネが言う。
「自動運転は怖いからね」
 それはどういう意味だろうか。聞き返しはしなかった。
 車の走行ルートはみるみるうちに、わたしの通勤経路を外れていく。やがて全く見たこともない街の景色が広がる。眼の端がその中にアンドロイドショップを捉えた。割られたショーウィンドウのガラス、落書きされた商品たち。何かを考える暇はないまま、タクシーは首都高速に入っていく。

 夜は暗いまま、わたしたちの世界を覆っていく。タクシーはいつのまにか坂を登り始めていた。
 急な勾配をぐるぐると回っていき、方向感覚も失われそうになったころ。
「ここで」
 ユイネがタクシーを止めた。
 精算を済ませると後部座席の両扉が開く。
 タクシーが遠くに離れてから顔を上げる。
 普段ほとんど目にしない木々や、耳にしない鈴のような虫の声。
「少しだけ歩くよ。面倒だけど、あんまり知られたくない場所だからね」
 ユイネは端末の明かりをつけて前方を照らした。

「イクハはさ、生まれてから何年経つの?」
「……この『わたし』は、たぶん5年」
「たぶん?」
「うん……。ユイネは最新型だし知らないと思うけど、わたしみたいな型は、何回か初期化されてるのが当たり前なんだって。そのときには壊れてるパーツがあれば取り替えるし、『わたし』と呼べるものがどれだけ残っているかもわからない」
 一呼吸。自分自身の呼吸を確かめてから話をまとめる。
「わたしが自信を持ってわたしだと言えるのは5年前から。だから、たぶん5年。でも、もしかするとつい最近まで、音楽をつくりたいと思うようになるまでは、生きてなかったのかもしれない、なんて思う。だから、ほんの数日かも」
「ふうん……」
「ユイネは、何年?」
「それでいえば、わたしは、自分のことを自信を持ってわたしだとはまだ言えないかも。生まれてすらいないかもしれない。イクハはすごいよ」
 ユイネが自嘲気味に言う。
「ほら、ついたよ」
 わたしたちは坂を登りきったようだった。その証に、眼下に広がるのは美しい街の明かりだった。
「ねえ、イクハ。遠くから見下ろせば、こんなにきれいなんだよね。わたしたちの街って」
「うん、こんな景色、初めて見た」
「それで、あっち」ユイネが指をさす。その先には丘から乗り出すようにして建てられた大きな建物があった。
「あれが、わたしたちモノ―ディアの制作スタジオ。イクハを招待してあげる」

「明かりがついてる、ってことは先客がいるか。まあ、大丈夫。ついてきて」
 ユイネに手を引かれ、わたしはその建物に入っていく。玄関付近はプレハブ小屋のように簡素な作りだった。少し進むと重厚な扉があった。その扉を開けると気圧の差を感じるほど空気の入れ替わる音がした。
 その室内は、あらゆる音が吸い込まれるようで、なんの音も反響しない不思議な空間だった。
 様々な楽器やコンピュータに囲まれるようにして、誰かが座っていた。わたしたちには気づいていないようだった。
 ユイネはまっすぐ彼のところへ向かっていった。足音に気づいたのか、彼は振り返った。
 その人物の顔には見覚えがあった。当然といえば当然だ。彼は「モノ−ディア」のコンポーザー・ミナトだった。
 ミナトは表情一つ変えずに、薄いサングラス越しにわたしたちをじっと眺めていた。しばらくして耳からイヤホンを取り外すと、ようやく喋り始めた。
「誰?」
「あんたが紹介してくれた部屋の住人。友だちになったから連れてきたの。文句ある?」
「いや……好きにすればいい。彼女はアンドロイドなのか?」
「そう。あんたみたいに曲が作りたいんだってさ」
 ミナトの、わたしを見る眼差しがかすかに変わったように見えた。
「ちょっと機材借りてくけど、いいよね」
「それも、好きにすればいいさ。向こうの部屋のものは、どれを持っていってもいい」
 ユイネはそっけない態度で返事もせず、さらに奥の部屋へ移っていった。
「君、名前は?」
「イクハ」
「イクハ。君はなぜ音楽をつくりたいと思った?」
 ミナトはコンピュータに向き直りながら尋ねてきた。
「理由は、はっきりとはわからない。でも、音楽がすてきなものだって感じたのが始まりだったような気がする。そんなものをわたしにもつくることができたらな、って思うようになったのかな。それまでは、すてきだと感じるものなんて、何もなかったから」
「……なるほど、だが、法のことは知っているのか。アンドロイドが生み出した創作物など、どうせ世に出すこともできないのに、なぜ?」
「いまはただ、つくってみたいと思ってるだけ。うん……きっと、それを誰かに届けたくなるのかもしれない。でも、わたしは、たとえ廃棄されてしまってもいいから、死んでもいいから、ちゃんと生きてみたいって、そう思ったの」
 すべて本心だ。ミナトは何も言わずに、机の上のキーボードを十数回叩いた。
「よくわかったよ。イクハ、君の端末のIDを教えてくれないか? 持っていってほしいものがあるんだ」
 なんだろう。気になりながら、IDを伝えた。
 すぐに、端末にファイルが届けられた。
「たった今、完成したばかりの僕の曲だ。君がさっき話してくれたことには僕も同意するよ。僕にとっても、音楽はまさに、その曲のタイトルどおり……」
 振り向いたミナトと目が合った。

「僕にとっての、存在証明なんだ」

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