こんな自分は嫌だ、という原点
自我というものが芽生えて、まずはじめに思ったことは、
「こんな自分は嫌だ!」でした。
自分の置かれた家庭環境や、世の中の不条理を憎んだのとは違うんです。
人生の早い時期に、人は何かに対して怒りや悲しみを抱き、その体験をいわば自分の原点として、成長し大人になっていくように思います。
その何かとは、ときには家庭環境のようなごく身近なものであったり、ときには世の中の不条理という大きなものであったりするのでしょう。
だけど私が生まれた時代、もうこの国はすでに豊かになっていました。
便利で暮らしやすかったけれども、そのぶん複雑で「不条理」がわかりにくい世の中になっていたかもしれません。
そして私の育った家は、何一つ不自由のない恵まれた家庭でした。
ひとりっ子だった私は、両親の愛情を受けて大切に育てられました。
さらに私は勉強もできたものですから、親の期待にこたえて、いわゆる「偏差値エリート」の道を突き進んでいました。
こんな環境で生まれ育った私は、自我が芽生えたとき、社会でも家庭でもなく、自分自身に対して、怒りと悲しみを抱いたんです。
そんなに恵まれた環境にいながら、何を寝ぼけたことを言っているのだ、ふざけるなと思いますよね?
でもですね、どんなに恵まれた環境でも、私のような「格好悪い人間」は生まれてきてしまうんです。
人生の意味よりも先行した、切実な問い
「自分は何のために生きるのか?」を考えたこともあります。
だけど私の場合、それは青年期にありがちな、観念的な形而上学の問いではありませんでした。
それよりもまず先に、私というぶざまな、みっともない存在をいったいどうしたらいいのか、という切実な問いがあったのです。
自分は格好悪い。とても人並みじゃない。みんなといっしょにいても溶け込めずに浮いてしまうし。強気な人間には下に見られるし。誰も自分をわかってくれないし。なによりも、女の子にもてないし。
本当に、自分が嫌いでした。
誰にもいえない生きづらさをたった一人で抱えて、それでも生きていかなければいけない。でもいったいどうやって?
その問いに対する答えとして、私は人生の意味をこんなふうに考えました。
「ぼくは、自分に満足したり、女の子に愛されたり、そんな小さな幸せのためじゃなくて、もっと大きな、天の意志(みたいなもの?)に従うために生きるんだ!」
自分の魅力のなさを棚に上げて、天とか持ち出しておかしいですよね。誇大的で。本当に恥ずかしいです。「我流則天去私」などといえば、言葉の響きだけは格好いいかもしれませんけれども。
でもあのころは、こうでも思い込まないと、自分がみじめすぎて耐えられなかったんです。
何のために生きるのかと考え、天というものを仰ぎ見ながらも、私は宗教的な方向に流れていくようなことはなかったです。
それはたぶん最初の原点が「こんな自分は嫌だ!」という、誰にもわかってもらえない孤独な叫びだったからではないかと思っています。
少なくとも私に関しては、生の本質よりも実存が先だっていた、ということなのかもしれません。