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チャンスの前髪をつかめなかった話

「チャンスの神様には、前髪しかない

そんなことわざを聞いたことがある人も多いと思う。
「チャンスはやってきたときにしっかりつかまないと逃してしまう」という意味だ。

基本的に過去の“たられば”は考えないようにしている私。
でも、この言葉を聞くたび、前髪をつかんでおけば良かったという出来事を思い出してしまっていた。

今も胸を締め付ける高校時代の1シーン

もうあれは20年近く前の話。当時高校2年生だった私は、同級生から、学校代表として作文の全国大会に出ないかと誘われた。聞けばそれは3人1組になってそれぞれ文章を書き、その内容で学校ごとに競うというものらしい。

彼女が学校代表として想定していたメンバーは、学年一文才があると言われていた子と、彼女と、私だった。断った理由は、よく覚えていない。でも特に仲が良かったわけでもない彼女が「あんた文章書くのだけはうまいと思ってるからさ」って言ってくれたことは、今でも覚えている。

結局、彼女は、学年一の子と一学年上の先輩とでチームを組んで、確か全国優勝だったか準優勝だったか、表彰されるレベルの好成績を納めた。

私がそのメンバーとして文章を書いていたら、入賞することはできなかったかもしれない。

でも、なんであのとき“Yes”と言わなかったんだろう。なんでメンバーに入ることを躊躇してしまったんだろう。あのとき一歩踏み出していれば、確実に何かが変わった気がする。自分に自信が持てるようになったかもしれない。物を書く仕事に就いていたかもしれない。

「あの言葉」を聞くたび、そんな後悔とも自責とも言える感情が私の胸を締め付けた。チャンスの前髪をつかめなかったあのときのこと。

君が「ゼロ」なら意味がない

高校時代のあのことを、ときどき思い出しては後悔していた、数年前の私。

憧れのライフスタイルを実現している人、よく読んでいるメディアの編集長、事業に対して熱い想いを語る経営者。そんな“憧れの人”に会う機会があるたび、ちょっと前のめりにつながろうとしていた。そして、どうにかして一緒に仕事ができないか、そればかり考えていた気がする。チャンスの前髪を離すまいと言わんばかりに。

でも、「やりたいこと」がちゃんと見えてなくて、一緒に仕事することが目的になってしまっていた私は、まさにからっぽの人間だった。相手からしてみたら、私と一緒に何かをするメリットがない。

結局、当時知り合った“憧れの人”と交わることはなく、恋い焦がれても振り向いてもらえない片思いのような感情を引きずりながら、冴えない現実を嘆いていた。

人生は掛け算だ。どんなにチャンスがあっても、君が「ゼロ」なら意味がない。

これも高校時代に結構流行っていたっけ。326の言葉。あの時の私はまさに「ゼロ」だったのに、それに気づかなかった。

チャンスは無理やりつかむものではなく、自然に訪れるもの

そんな私はいつしか「高望みの恋」をやめて「自分にフィットする居場所」を求めるようになった。自分の特技が周りの役に立って、でも周りは私にはない何かを持っていて。お互い切磋琢磨しながら成長しあえる、成長させてくれる環境。

「なんだか楽しそう」「自分に合いそう」「頑張れそう」——
直感に素直になって居場所を決めていくと、そこが自分を成長させてくれる環境だった。しかも、無理に高くジャンプしなければならない感覚がなく、ちょっと背伸びすれば届きそうなぐらいの絶妙な位置を目指していける。そういう場所を見つけられるようになったのが、ここ1年ぐらいのこと。

心身ともに落ち着いていて、次に目指す方向も見えていて、着実に一歩一歩前に進んでいる。

そんな今だからこそ思う。

チャンスの前髪は、無理につかむものではない。
楽しく続けられることを見つけて、自分が向かうべき方向に努力をしていれば、チャンスは自然と訪れるもの。
つかめない理由があったなら、それはきっと、つかむべきではなかったのだ。

さまざまなめぐりあわせや風のうわさで、今になって「あの時のチャンスを無理やりたぐり寄せなくてよかったな」と思うことも多い。

人生はきっと、そういうふうにできている。


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