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果たして、世界が広がるのはこのましいことなのだろうか。明らかに世界が繋がった瞬間があった。世界から世界へのテレポーテーション。いーっぱい、世界存在している。もしかしたら10000億個くらいあるかもしれない。


避暑地、インターネット。

10代、価値観がぶっ壊れる感覚があった。キラキラした教室から逃げるようにパソコンの前にしがみついていた。インターネットライフ、超充実していた。まさに辛かったら違う星に逃げればいいじゃないを体現していた。こんな自分を受けいれてくれる懐の広さが、当時のインターネットにはあった。クラスに馴染めないも不細工も頭悪いもきもいも雑魚いも全部。みんな物珍しい当たり前を持ち寄って、自分がここに居てもいいんだと思わせてくれた。

しかし、そんな最高のインターネットは幕を閉じた。

労働から帰ってきて一息つく。それと同時にiPhoneを取り出し、電源をつけアプリケーションを転々とし、画面を閉じる。そしてまた物足りなくなり、疲れ切った指先はタップ•スワイプ•ドラックをループする。ふと、そこには自分の居場所がないことに気づく。自室のような安心感、小さい箱にしまい込んだわたしの自意識。どこに行ってしまったんだろう。居心地の良かった嘗てのインターネットは存在していなかった。もう第二のプラットフォームではない。みんなインターネットをしている。惑星の人口が増えすぎた。いつ間にかそこは現実と地続きの現実になってしまった。

遠くの芝生は価値観という鈍器でわたしたちを殴り、カバンの中の当たり前という貴重品を奪って行った。みんなちがってみんないい、だけど一緒じゃなきゃヤダ。そんな寂しさと我儘さが多様性の一部を貸し借りする。似てるようで似てない画面の前のアカウントに同調することで楽になってしまいたいのだ。フォローしてるちょっと話題のかわいいあの子が整形してるからわたしもいじろーとか、有名ユーチューバーが大学中退してるからっておれも少しくらい単位落としてもいいやーとか、多様性を振り翳して許されたい。ここ数年ずっと、一体感と多様性が同じ箱に詰められて酸素が薄い。自己と他者の境界線がないまま、自他の違いを認め合おうとしたらそうなる。似て非なる私たちの要素だけ抽出して許されようとしてる。だけど残念でした、あなたとわたしは違うのです。育った環境も持ってるものも持ってないものも。

インフルエンサーがいう、SNSデトックスって大ギャグなのでは無いだろうか。ふと、誰かがこんな自意識が肥大するツールと毒を吐いたのを思い出した。

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