89. 無事、帰国しました

皆さんこんにちは。三浦優希です。

世間ではコロナウイルスの話題が後を絶ちませんが、皆様におかれましてはいかがお過ごしでしょうか?どうか皆様がご無事でいることを願っております。

まず初めに、今回の新型コロナウイルスの影響について、私のことを心配していただいた皆様に御礼を申し上げます。本当にありがとうございました。

私三浦優希は、2020年3月21日に日本に帰国いたしました。今回のnoteでは、このような運びとなった経緯についてお話させていただきたいと思います。それではよろしくお願いいたします。

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本来であれば、大学の春セメスターが終わる5月上旬に帰国する予定だった私がこの時期に日本に帰ることになった理由は、皆様もご存じの通り、世間を賑わせている新型コロナウイルスの影響によるものです。アメリカで普段通りの生活をしていた私やチームのメンバーは、「中国・武漢にて発症者が出た」というニュースが報道され始めた頃は、状況がここまで深刻なものになろうとは誰も予想をしていませんでした。

そんな私たちでしたが、大学のシーズンが3月9日に終了し、チームから1週間のオフを与えられていた時から事態は急展開を迎えました。その時の様子を時系列でお伝えさせていただきます。

3月11日(水)
午前中:チームミーティングがあり、オフシーズンの予定(陸上トレーニングの日程など)をコーチから聞く。この時はまだコロナに関するアナウンスは「今後何かチーム活動に変化はあるかもしれないけど、まずは自分の体調管理に気を付けるように。」といったものだった。チームメイトと、「他のミシガンの大学は全部授業がキャンセルになったらしいよ」といったうわさ話をしていた。

午後:大学側から「3月16日~4月17日まで、大学での授業を全て中止し、オンラインに移行する。」という連絡が来る。キャンパス内にてFace-to-face meeting(直接人と会うこと)が禁止される。


3月12日(木)
コーチからチーム全体に連絡が来る。内容はこんな感じ。
①予定されていた3月/4月のワークアウト含むチーム活動はすべて中止
②海外組はなるべく早く自分の国に帰るように、との指示が出される(国境が封鎖される可能性を考えてのこと)
③4月末の期末試験のためにアメリカに帰ってくる必要はなし(コーチが大学学長に確認済み。この時、各教授はまだこのホッケー部のアナウンスを知らなかったと思う。海外組の選手のために、コーチ陣はいち早く最高機関に確認をしてくれていたらしい)

つまりこの段階で、アメリカから日本になるべく早く帰らなければいけないことになる。

3月13日(金):3月20日(金)の飛行機を予約する。フライトコースはスーセントマリー・カナダ→トロント→羽田というもの。私の住んでいる町は、カナダと隣接しており、橋を渡れば国境を車で超えることが出来る。本来であればわざわざカナダ側に渡らずにアメリカから直接日本に帰るというのがベストだったが、橋を渡りカナダ側の空港から帰るほうがフライト費用が5割以上安かったためこちらにした)

3月14~15日(土・日):アメリカとカナダの国境閉鎖のうわさが流れ始める。本当に帰ることが出来るのか不安になり始める。数日でも早いフライトにしておけばよかったのではと思い始める。

3月16日(月):カナダ政府が「国境を18日より閉鎖する」というアナウンスをする。「やばい!!!」と震え上がる。実際に国境を閉鎖するのは18日となっていたが、何が起きてもおかしくなかったのでそのニュースを見た15分後には家を出てカナダ側に渡る。荷造りを早めにしておいて本当に良かった。

3月16日~19日(月~木):カナダ側に住んでいる知り合いの方の家に泊めてもらう。ここまではルームメイトであるサコが送ってくれた。ここで彼に別れを告げる。今回お世話になった方々は、本来であればフライトの前日に一泊だけさせていただく予定だったが、この状況を理解してくれて、突然のお願いにもかかわらず4日間も泊めさせていただいた。

3月19日(木):ここ数日間の運行状況を確認したところ、スーセントマリー・カナダからトロント行きのフライトが何本かキャンセルされていることを知る。おそらくは、乗客人数が激変したためだと思う。自分が乗る予定だった20日のフライトはまだキャンセルされてはいなかったが、万が一ということに備え、19日の最終便(17時発)でトロントに渡れるか空港に直談判しに行く。その結果、まだ空席があったということで、そのフライトに押し込んでもらう。そして予定より一日早く、19日の18時頃にトロントに到着。羽田行きのフライトは20日の14時なので、空港で一夜を明かすことが決定。とんでもなく長い乗り継ぎ時間になったが、トロントへのフライトがキャンセルされることに比べたらよっぽどましだ。この時間を使って、宿題を5個近く終えることが出来た。防具などの大きい荷物は、お預かりセンターに預けた。夜は、横長のベンチに寝転がり、ジャンパーを布団代わり、手荷物を枕替わりにして寝た。初めての経験だった。

3月20日(金):結局、ぐっすりと眠ることはできず朝5時ごろに目が覚めてしまう。空港内のお店でサンドイッチなどを食べた後、再び宿題やnoteを書くなどして14時のフライトまで時間をつぶす。無事に東京に飛びますように。

トロントから羽田行きの飛行機は特に問題なく出発できるとのことだった。本当に良かった。飛行機内は普段に比べてかなりガラガラだった。空席も目立った。今回のフライトでは、コロナ対策ということでブランケットと腰枕が提供されなかった。

3月21日(土):16時ごろ羽田空港に無事に到着。特に、日本人帰国者への検査などはなかった。おそらく、外国人はなんらかの検査をしていたのではないかと思う。もしかしたら単純に入国審査が厳しくなっていたのかもしれない。(長蛇の列ができていた)
荷物を受け取った後、両親が車で空港まで迎えに来てくれた。そして自宅へ無事帰宅。

と、言った流れでした!
1日ごとに、もっというと、数時間、数分ごとに状況が目まぐるしく変わる中、なんとか帰国することができました。本当に、感謝してもしきれないほど多くの方に助けられました。国境を渡るために送ってくれたルームメイトや、家に4日間も泊めてくださったご家族がいなければ、多分今僕はここにいません。事情を知ってすぐに航空券の費用を用意してくれた両親もそうです。

チケットを予約してからの一週間は、常に不安を抱いた状態でした。カナダに無事渡れるのか、トロントまで飛行機は飛ぶのか、羽田まで飛行機は飛ぶのか、そもそも何の問題もなく入国できるのか、などなど心配を多くしていましたが、本当に周りの方々の支えのおかげで私は無事に日本に帰国することが出来ました。余談にはなりますが、「日本政府がアメリカからの渡航者の入国を制限する」というニュースを今朝目にしました。本当にギリギリのところでした。あとは8月にアメリカに帰国するまでに事態が少しでも収束していることを願うばかりです。

今回の出来事を通して、色々と自分の中に湧き出てきた感情や考えがいくつかあったので、近日中に皆様にシェアできれば、と思います。

僕が今帰国できたのは本当にラッキーだっただけで、きっと世界中には今でも移動トラブルを抱えている人が大勢います。そういった方々を思うと本当に胸が痛いです。少しでも多くの人が、なんとか自分の想い通りに行動できる事を心から望んでいます。

今は、全員で社会的責任を全うすべき時です。こういったときこそ、互いに助け合わなければいけません。少しでも早くこの事態が収まるよう、自分にできることをやっていきます。

皆様、どうかご無事でいてください。そして、大切な人と時間を過ごしてください。

最後まで読んでいただき本当にありがとうございました。

三浦優希


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