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134. スポーツが僕にくれたもの

スポーツとの関わり方は人それぞれだ。

スポーツを見る人、する人、支える人、作る人など、いろんな形がある。その中で、僕は人生の大部分の時間を「スポーツをする人間」として過ごしてきた。

だからこそ今回は、選手として24年間生きてきた僕が、スポーツから与えられてきたものについて考えていきたいと思う。

アイスホッケーとの出会い

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まず、ほぼ間違いなく、アイスホッケーと出会うことがなければ全く別の人生を僕は歩んでいただろう。きっと、代表のユニフォームに袖を通すことも、海外で生活することもなかったかもしれない。

小さい頃からずっと、自己紹介をするときの「三浦優希です」に続く台詞はいつだって「アイスホッケーをやっています。」だった。それは24歳となった今でも変わっていない。

アイスホッケーをしていたからこそできないこともたくさんあった。修学旅行に行けないのはしょっちゅうだったし、習い事の発表会も何度も休んだ。大人になった今でも、友達とゆっくり旅行に行く機会はない。そういった時、いつも残念な気持ちにはなっていたけど、今までたったの一度も「ホッケーをやっていなけりゃ良かった」と思ったことはない。

僕はアイスホッケーが小さい頃からずっと大好きだった。

アイスホッケーは、僕にとって常に一番の「先生」だったと思う。スケートやシュートなどの技術はもちろんのことだけど、それ以上に、自分の人生を豊かにしてくれるものを多く与えてくれたのが、このアイスホッケーというスポーツだ。

一生懸命練習することの楽しさも、仲間を大切にすることも、相手をリスペクトすることも、目標を立てることも、本気で取り組むことも、勝利の感動も、そして、負けたときの悔しさも、アイスホッケーは教えてくれた。

それだけではない。

僕はアイスホッケーを通じて本当に多くの人と出会うことが出来た。コーチや父兄の方々、ファンの皆さんや自分の活動を応援してくれる人たちなど、「アイスホッケー選手」でいたことで、自分はたくさんの人とかけがえのない時間を過ごしてきた。

中でも、チームメイトとの出会いは一生の宝だ。何物にも代えがたい、自分の人生で最も誇れる宝物だろう。ともに滑り方から教わり続けた小中学生の時のクラブチーム時代の選手たち。青春を共に過ごし自分の海外挑戦というわがままを快く受け入れてくれた早実時代の選手たち。右も左も言葉も文化も分からず不安でたまらなかった僕を認め、常に助けてくれたチェコやアメリカのチームメイトたち。世界を相手に、母国の誇りを胸にともに戦った日本代表の選手たち。そして、4年間毎日一緒に過ごし、楽しい瞬間も悔しい瞬間もずっと時間を共有し続けた大学のチームメイトたち。

今まで自分が一緒にアイスホッケーをしてきた全員が、家族のようなものだ。

チームという組織や、チームメイトという関係は、本当に不思議なもので、仲のいい友達や学校のクラスメイトとは全くの別物だと思う。ともに本気で戦い続け、その瞬間を共有しているうちに、繋がりはより特別なものとなっていく。言葉ではなかなか言い表すことのできない「絆」で結びついていく。

アイスホッケーという競技を通して出会えた素晴らしい仲間たちこそ、スポーツが僕に与えてくれた、最高の贈り物だろう。

失敗からの立ち上がり方

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もう一つ、スポーツが僕に与えてくれたことがある。

それは、「失敗との出会い」だ。

僕はこれまで、とにかく何度も失敗をしてきた。そして、そこから這い上がってきた。正直な話、最初からうまくいったことなんてほぼ経験したことがなく、上を見てはあっけなく破れ、それでも諦めずになんとか食らいつくということをずっと繰り返してきた。

最近よく考えることだが、日常において、ここまで何回もトライアル&エラーを繰り返し、直にフィードバックが与えられ、それを修正し、また挑む、という作業が行えることは、相当レアなことだと思う。「とりあえずチャレンジしてみよう」と思えるものがあるって、なんてありがたいことなのだろうか。

つくづく僕がラッキーだと思うことは、かなり早いうち(幼少期)から、”絶妙な”失敗経験を何度も味わえていたことだと思う。自分の周りには常に、適度に自分より上手な人がたくさんいて、強い相手がいて、ちょうどよい具合に、「何も通用しねえ」と思う時間を繰り返してきたと思う。これがもし極端に自分との差がありすぎる状態だったとしたら、自分の自己肯定感は完全に削がれていたかもしれないし、逆に自分が奢った人間になっていたかもしれない。

自分の今の力ではまだ及ばない、でも、何とか手を伸ばせば届くかもしれない、という繊細な距離感の中で試行錯誤を繰り返し、その過程で、失敗からの立ち上がり方を学んできたのかもしれない。

常に上手くいかないことだらけだったからこそ、新しいことに挑戦することにも抵抗を覚えないし、ある程度の時間結果が出なくても根気よく耐えられるようになった。そしてその根底には、「いつか必ずこのトンネルを抜けるときが絶対に来る」、「いつかこの節から芽が出る日が来る」という確固たる信念が存在するからだ。小さい頃から培ってきたこの感覚こそ、いまだに自分がチャレンジャーで居続けられる最たる理由であり、この先の人生において僕の大きな武器になるものだと思っている。

スポーツを通してもたらされるものにこそ、本当の価値がある

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僕が今回のnoteで一番伝えたかったのは、ここからだ。

僕は、スポーツ自体というよりも、スポーツを通して人々にもたらされるものにこそ、最高の価値があると思っている。スポーツそのものよりも、スポーツによって引き起こされる影響、巻き起こされる感情こそが、最も尊いものだ。

例えば、自分が走っているわけじゃないのに、駅伝を見て勇気をもらうことがある。

普段は他人の行動にそこまで気を取られることもないのに、スポーツになるといつの間にか感情を突き動かされる、という経験はきっと多くの人がしているのではないだろうか。

アスリートからしてみたら、言ってしまえば自分はその競技に取り組んでいるだけなのに、気づいたら応援してくれる人が増え、自分の成果を常に気にかけてくれる人や、自らの挑戦への姿勢に感動してくれる人がいつの間にか増えていく。これは本当に特別なことだと思う。

スポーツの持つ不思議な力だ。

そのゴールは選手が決めたものなのに、その演技は選手が成功させたものなのに、その記録は選手が樹立したものなのに、いつの間にか僕らは、ともに感動し、ともに喜び、ともに笑顔を共有している。これほど素晴らしいことが、他にあるだろうか。

自分と他人をつなぐもの。自分と世界をつなぐもの。
スポーツは、全員にとっての架け橋となりうると信じている。

そして、スポーツの持つもうひとつのパワーとして、「スポーツをしていると、いつのまにか人と関わることになる」という事が挙げられると思う。

それはプロ選手であれ、アマチュアであれ、初心者であれ、同好会であれ、趣味の延長であれ、関係ない。個人競技であっても、団体競技であっても、どこかのタイミングで必ず、自分以外の人と関わりを持つことになるはずだ。

自分が関わりを持つ人々は、チームメイトかもしれないし、選手とコーチという関係かもしれないし、審判かもしれないし、応援してくれる人や、ネットで出会った人、あるいは競技会場の清掃員さんかもしれない。どんな関係性であれ、スポーツが互いの共通言語となり、そこからまた新たな出会いが生まれていくことが、本当に素晴らしいことだと思っている。

個人的な話をすると、僕は他の方々との出会いがなかったら、まず間違いなくアイスホッケーを自分のやりたい場所で出来ていないだろう。常に、自分の周りには、困っている自分に手を差し伸べてくれる人がいた。それもたくさんだ。

だからこうして、アイスホッケーを続けることが出来ている。はっきり言って、ほぼ奇跡に近いんじゃないかと思っている。

だからこそ僕は、人との出会いをこれからも大切にするし、困っている人がいたら、当たり前に助ける。それが、今まで自分が様々な人から受けてきた多くの恩を還元していくということだと思っているから。

最後に

今までの人生を通して、様々な感情を味わってきた。悔しさで涙があふれた日もあれば、喜びで胸がいっぱいの日もあった。試合当日に自分の番号がロースターに書かれていなかった時の気持ちも、代表に選ばれたと通告を受けた瞬間も、怪我をして練習すらできなくなった日々も、初ゴールを決めたその時も。父に怒られたときも。母に励まされたときも。学校の友達が試合を見に来てくれたことも。

本当に色んな日があったと思う。

自分よりすげえやつの存在をマジマジと見せてくれたのもアイスホッケー。明日も頑張ろうと思わせてくれたのもアイスホッケー。

どんな時も、僕の中にはアイスホッケーがいた。

僕の人生を間違いなく豊かにしてくれているこのスポーツに、心から感謝したい。

今回も、最後まで読んでいただきありがとうございました。

三浦優希


*この文章は、パナソニックがnoteで開催する「#スポーツがくれたもの」コンテストの参考作品として主催者の依頼により書かせていただきました。



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