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119. どう考えてもアスリートは恵まれすぎている

皆さんこんにちは!三浦優希です。
今日は「アスリートって本当に恵まれてるよなあ」という、ここ最近僕が感じていた事柄について考えていきたいと思います。

何に対して恵まれている?

僕が思う、アスリートが本当に恵まれているなあと思うポイント。それは、人からの眼差しです。

僕は、海外に出て活躍をしたり、日本代表に呼んでもらえるようになったことで、以前と比べると人に自分のことを知ってもらえる機会が圧倒的に増えました(もちろん全国的認知度はまだまだですが)。今まで面識がなかった人と初めて挨拶をするときにも、今までの経歴を交えながら自己紹介をすると、「凄いですね!」と言われることが結構多いです。

例えば僕が、「17歳から海外に出て現在はNCAA D1でプレイしています。アイスホッケー日本代表です。」というと、多くの人から「おお!」といった反応が返ってきます。もちろん、競技自体の人気や知名度、選手個人のプレイ環境やレベルによって差はあるかと思いますが(例えば学生なのかプロなのか、国内なのか海外なのか)、おそらくどの競技であれ「私は~の選手です。」や「アスリートとして挑戦を続けています。」というと、ほとんどの場合、周りの人からは特別な目で見られることがあるのではないかと思います。きっとこの感覚は、競技を続けている方なら少なからずどこかで感じたことのあるものではないでしょうか。

どんなレベルであれ(レベルが高くなればなるほど)、「アスリート」でいることは周りの人へ強い印象を与えます。

個人的な経験を少し話します。スポーツに関わる多種多様な人達が集まるイベントやコミュニティに参加する機会が何度かありますが、そこでは各業界の最前線で働かれているような人たちがいる中で、僕もその輪の中に混ぜていただくことが出来ました。僕からしたら、スポーツビジネスの現場で働いている人達や、例えば弁護士とか会社経営している人たちなど、出会う人々はみんな素晴らしい努力や才能を生かしてお仕事をされているわけですが、そういう人たちとの中でも「海外でアイスホッケーをしています。」というと、途端に見られ方が変わることが多いです。これは決して、嫌みや自慢などを言っているわけではなく、事実としてそういったことが頻繁に起こるということを皆さんにお伝えしています。

「アスリート」という職業は「こういう職についています」とか「~で仕事してます」という言葉よりもはるかに周りの人に与えるインパクトが大きいのかもしれません。周りの方々のそういった反応が好きとか嫌いとか、そういう話ではなく、事実として、こういったことが実際に起きるのです。

実際僕だって、「Jリーグでサッカーやってます」とか、「プロ野球選手です」とか言われたら「おお、すげえっ」ってなります。

僕が本当に言いたいことはここからです。

それに気づいていないアスリートが多い気がする

おそらく、今まで僕が話してきたような、いわゆる「羨望の眼差し」で見られるという経験をしたことがあるアスリートはきっと多いと思います。そして、その中でも、周りからそのような目で見られたり、「凄い凄い」と言われてただ自分が気持ち良くなって終わるだけの人ももしかしたらいるのではないかなあ、と感じています。

もちろん、周りの人からそういった眼差しを向けられることは、自分が今まで他人が想像できないほどの努力や時間を競技に対して投資してきたことで得ることが出来た一つの結果です。自分が人よりも頑張ってきたことで、競技外でのメリットを得るということは何も不思議なことでもないし、そのリターンをどのように感じようがそれは選手個人の自由です。

それをご理解いただいた上で、ここからは僕個人の考えを話していきます。

実際アスリート目線で考えたときに、僕はアイスホッケーという競技において、もちろん努力もしてきたけど、たまたま人よりも体の動かし方が少し上手だったり、周りの環境にかなり恵まれていたことで、現在アイスホッケーを中心とした生活を送ることが出来ています。たまたま自分が好きで、得意なスポーツを続けてきた結果、周りの人から反応してもらえるようになりました。

もし仮に、いわゆる一般の人がファンを集めようとしたら様々な努力が必要になります。自分を知ってもらう事や、自分を好きになってもらう事、自分を応援してもらうことなどは決して簡単なことではありません。自分は何で世の中に対してアピールしていくのか、それを練りに練って考えたうえでアクションを起こしたとしても、それが絶対に喜ばしい結果につながる保証はどこにもありません。

一方、アスリートの場合は、すでに自分のアイデンティティを最大限に表してくれるものがあります。それがスポーツです。もちろんそこには、選手の人柄なども影響はしてきますが。言ってしまえば今まで好きでやってきたものの延長線上に、自然とファンができ、自然と応援してもらえるようになります。一見当たり前のように思えることかもしれませんが、これは実はとっても特別なことではないかと僕は思います。自分のことを表してくれる何かを気づいたら持っていたり、自分の活躍に対して一喜一憂してくれる人たちが周りにいるって本当にラッキーなことではありませんか?

あえて言うとするならば、アスリートとはノンアスリートに比べて見られ方がやっぱり少し違うし、基本的に何をしようにも、「すごい」という視点から接してもらうことが多いはずです。常に特別な目線をかけられれます。

だからこそ、その特別感を無理して拒否する必要はないと僕は思っています。

ここのニュアンスをとても伝えたかったです。要は、すごい目で見られることを自ら捨てたり妨げる必要はないということです。仮に「自分はまだまだだ」と感じていたとしても、周りの人がそう思ってくれているのであれば、それは受け入れて良いと思っています。最初にも言ったように、なぜならそれは、自分がそのスポーツに対して情熱、資産、努力、時間を続けてきた副産物だからです。

その上で。

僕が伝えたいことは、そういった感情の受け取り方についてです。

「今までこんなに頑張ってきたんだし、実際俺はうまいんだから周りからそう思われて当然だ」という発想も決して間違いではないし、どう受け取るかは選手の自由なのですが、僕としてはやっぱり、ここまでこれたことに対する周りへの感謝は決して忘れてはいけないと思っています。というより、レベルや競技力が上がれば上がるほど、そういった周りへの感謝の気持ちというものは必然的に増えていくはずです。競技を続けること、相手がいてくれること、試合が出来ること、チャレンジが出来ることのすばらしさを身を持って知る回数が確実に増えるからです。

周りの人からすごい目で見られるような扱いを受けたときに、自己顕示欲や快感に溺れてしまうのではなく、「自分は他と比べたら特別」ということを理解した上で、「そんな自分には何ができるのか」「そんな自分だからこそできることは何なのか」を考えることができたらよいなあと僕は思っています。実際、その人にしか届けられないストーリーや価値は存在するはずです。

アスリートには、ほぼ確実に、良くも悪くもバイアスがかかります

言ってしまえば、「あの人はアスリートだから」という一つの偏見と常に向き合うことになります。知名度や競技によって、周りからの態度や反応は違うかもしれないけど、スポーツをやっているというだけで他の人とは少し違った目線で見られることが多いからこそ、自分が特別ということを理解し、そのメリットを世の中に対して還元していけるのかを考えたいです。

それが、恩恵を受けているものの義務であり、恵まれている分、やるべきことの一つではないかと思います。

今回も自分の言いたいことを自由に述べさせていただきました。最後まで読んでくださり本当にありがとうございました。

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P.S
Voicyの方でもこのトピックに関してお話していたのでもしよければ聴いてみてくださいね。

https://www.voicy.jp/channel/1066/103688






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