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願うなら、遠くより近く

 神社が好きだ。
 旅先で神社を見つけたら、できるだけ足を運んで参拝。
 社殿に向かって手を合わせ
「お参りをさせてくださって、ありがとうございます」
 それだけを思う。

 昔は神社に参拝するたびにあれこれ願い事をしていた。
 願い事をしたら、その願いが叶ったとき、御礼の参拝をすることがとても大事だ。
 たとえば東京に住んでいるひとが、出雲大社で良縁祈願をし、太宰府天満宮で合格祈願をして、その願いが無事に叶ったら。
 あまり時を置かずに出雲大社や太宰府天満宮に行き
「願いを叶えてくださってありがとうございます」
と、御礼参りをする必要がある(ここではあえて「必要」と言わせてもらう。あくまでも「私はそう思っている」だけど)。
 霊験あらたかだから、ご利益があるから、とあちこちで同じ願いをしたら、全部の神社に御礼参りしなければいけない。
 人間相手だってお願いしたことをやってもらえたらお礼をするのが筋。比較的簡単なことは電話やメール、お礼状などで済ませることも多いけれど、大きなことなら手土産を持って相手のもとに伺うもの。
 相手が神なら、人間同士以上にきちんとしないと、あとがこわい。

 こう思うようになったのにはわけがある。
 昔は趣味と実益を兼ねて、かなりたくさんの神社に参拝していた。
 参拝するごとに色々な願い事もした。
 そうしているうちに、だんだんどこでどんな願いをかけたか把握できなくなってしまった。
 まぁ、そんなふうにいい加減な心持ちだから、かけた願いが叶えられたことはあまりなかった。
『こやつはあちこちにいい顔をしているが、まるで実《じつ》がない』
 なんて感じに思われていたのだろう。
 反省して心を入れ替え、ここ、という神社を決めた。ほかの神社では願い事をほぼしなくなった。
 どうやらそれが良かったらしく、ここ、と決めた神社での願いは、おおむね叶えていただけるようになった。
 が、どんなに願っても、人の道にもとるような願いは絶対に叶わない。そして、その人に本当に必要なことしか叶わない。
 人として正しいこと。筋が通っていること。
 それが肝心な気がしている。

 そんな話を、昔とある作家の方に話したことがある。
 仮にKさんとする。
 Kさんはとても面白いお話を書かれる方。努力家で誠実で、読者のことを大事にしていて、担当さんとも関係良好。
 そんなKさんは行き詰まっていた。
 できることやれることは全部やって頑張っているがどうしても良い結果に至らない、ととても苦しんでいた。
 実際にKさんは、それ以上できることはないのでは……というくらい思いつく限りのやれることを、有言でも不言でも実行されていた。
「あとはもう神頼みですかねぇ…。ご利益があるらしいから○○神社に参拝に行ってみようかな」
 そのときKさんが挙げたのは遠方にある有名な神社。
「ほかに結城先生のお勧めがあればぜひ教えてください」
 私が挙げる神社なんてあそことあそこしかないわけですが。
 そのどちらもKさんの住む場所からはかなり距離がある。
 相性も考えたほうがいい。私にとって良いところがKさんにも良いとは限らない。
 そして、有名な遠いところに一、二度参拝するより、行きやすいところに足しげく通ったほうが良いとも思う。
 人間だって、一見さんより付き合いの長いひとのほうが融通をきかせてもらえるじゃないの。
 私のように場所やご利益以前に祀られている御祭神が重要というわけでもないならば、行きやすくて気の合うところがお勧めだ。
 そんなわけで、氏神さまはどうですかと水を向けてみた。
 すると。
「あー。近くの神社なんですけど、知る人ぞ知るらしいんですよ。なんでも、落選した議員さんがせっせと参拝と奉仕をしていたら次のときに当選したんですって」
「Kさん、そこに行きましょう。願掛けもですが、気が向いたらとか、散歩の途中でとか、日常的にご挨拶に行きましょう。近くの氏神、大事」
 聞けばKさんの氏神はかなり歴史のある神社。常駐の神職さんはおられないそうだが、年に一度のお祭りには神主さんがいらして、普段は氏子さんたちがきちんと手入れをされているとのこと。
 それはいい。とても良い。
 これがたとえば、まったく手入れがされていない、お祭りもされていない、寂れて嫌な感じがするようなところなら勧めない。
「遠い有名神社よりそこがいいですよ。ぜひそこに行きましょう」
 力説。
 かくしてKさんはちょいちょいお参りに行くようになり、節目にはまとまった額の初穂料も供えたという。

 その後。
 一年も経たずに、渾身の作品がヒットしシリーズ化。さらにメディア化も。
 Kさんご本人が、これは現実なんだろうか…と、信じられない気持ちだったそう。
 しばらくして久々にお会いしたとき、しみじみ仰ったKさん。
「あのとき勧められてからお参りに行くようになったんですよ。いまでもお参りしたおかげだと思ってます」
 Kさんは当然御礼参りもされ、いまも折に触れてはお参りなさっているそうな。
 そんな話を聞くたびにつくづく思う。
 やっぱり神はいる、いるな、いるんだよな、と。

 遠くの有名神社もいいけれど。
 近くの氏神。近くの産土神。近くの鎮守。
 まぁ。
 私はゆえあって、願を掛けるのは結構遠いところなんだけれども。
 近くの神社にも年に何回か足を運び、日々の感謝をお伝えしている。


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