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親の言ったことが絶対正しいとは限らない

私たちは無意識の内に莫大な親の影響を受けているんだろうね。


この話の前提として…
両親のことは尊敬しているし、とっても感謝をしている。

"その上で"

でも、だからといって
親が言う事と違うことをしたっていいんじゃないのかなと思っている。




産まれてからずっと十何年も一緒にいたのだから
親の考えや常識があたりまえになるし、自分の世界になる。

物事に対してもその視野をもって判断していくことになる。



だから、大人でもその親の世界の中にいることに
疑問すら持たないで生きていくこともある。

その生き方も1つの素敵な生き方。
親は自分のために、自分を守るために言ってくれたこと。
それで楽しく生きていければそれは最高だ!



ただ、生きていく中で
親から言われた通りに生きていて
窮屈さを感じていたり
そこに違和感を覚えたとしたら
それは自分自身の中では
親とは考えが違ったのではないだろうか。

これは悪いことじゃないよ!!


悪いことだと封印してしまったらもったいない!
自分の感情を踏みつぶさないであげようよ!



だって、考えてみれば親だってただの一人の人間。
自分一人の人生しか歩むことはできない。
全ての生き方を網羅してる訳じゃない。

私たちはどこかで親のことを
完璧な人、世の中を知っている人、
親が正解だと思い込んでる節がある。


だからそれを見習おうとするけど
親が知らない道に自分が行きたい、進んでみたいと思うなら
今まで言われてきたことの逆を、
自分の中での非常識をやることになるんだよね。

それで、仮に失敗したとしても
それはそれで自分にしか得られない貴重な経験になって
今後に活きるはず!


父親に昔、

杉の木を生やすな。

って言われたのがとっても印象に残ってるんだけど

これは「杉」と「過ぎ」を掛けたもので
何事も[やり過ぎても][やらな過ぎても]いけない、
ちょうどいい塩梅が大事だ。という意味。


昔はこれに納得していたのだけれど
今は反対の意見を持っている。

やりすぎてもいいんじゃない?
自分の好きなこと、やりたいと思ったことなら。と。

その代わりそれによって起こる弊害を受け止めるのも自分自身。
でも、それはどうなるかやってみて初めて分かることだし
まさにそこで起きた経験が、自分の財産なんじゃないかな
っていう考え方に変わってきた。



この変化は決して親の意見を否定する訳でも反抗する訳でもない。
ただそういう考えができるような自分に成長したのだと思うから
自分を褒めてあげたい。

その苦汁を味わわせないよう
心配の気持ちで言ってくれているのもよく分かるんだけれど
自分は「やっちゃダメ」って縛る人生よりも
「やっていいよ」って許可していく人生でありたいのだ!



親の考えをただ受け入れるだけでなく
それに対して自分がどう感じたのか、何を思ったのか、
そっちの部分も大切にしていきたいね。

親の意見ではなく、自分の考えで生きていくことこそ
本当の意味で親から自立することだったりするのかもしれない。



『敬意や感謝』と『親の言うことと違う生き方』は
同時に存在できるはず。



だから、親の目を気にしなくても良いんだよ!
親の意見に反対したって良いんだよ!
自分の生きたいように、やりたいようにやっても良いんだよ!


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