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雨の夜の擁壁に青い苔

今年の夏は、庭先の芭蕉が背丈をなかなか伸ばさないと案ずるうちに、9月の秋、残暑が3日ほど続いて、そのあいだにみるみると背を伸ばした芭蕉は垣根を超え、優に自分の背を越えてしまった。伸びれば伸びるほど、秋風に吹かれて、はかなく葉が破れていく。雨の夜などは、はらはらと葉に注ぐ音が侘しく、なんとも痛ましい。そんな寂しい秋の夜は眠れぬことも多く、仕方がないので縫物でもと針糸を手にする。これは幼い頃、伯母から習ったもので、襟を縫うのが難しくて喧しく言われるのがいやで、ついに放り投げては神社に駆け込み、もうこんなことになりませんようにとお祈りしたものだった。でも、これもあれももうとっくの昔のこと。この伯母も亡くなってしまった。いま針をもっても手がごわついて上手く針が滑らない。伯母が生きていたらまた怒られるだろうか。そんな昔がとても恋しい。遠くから音がしてきては、すぐ近くの戸を打つ雨の音、こんな寂しいことがはたしてあるものだろうか。そして、やせ衰えた親の肩を揉むと、手のひらが肩の細い骨にあたる。こんな雨の夜ほど心細くやるせないものはない。


雅文名筆、樋口一葉が書いたきわめて美しい短い随想を読んだ。長い夏がようやく終わるや一気に秋になった休日の今日、東京は一日中ずっと雨が降っていた。いま、ベランダの窓をあけると雨はどうやら止んでいる。しばし目の先に恥ずかしそうに低く隣家を遮るブロックの擁壁の天端には、知らずのうちに青緑の苔が水彩絵の具の滲みようにくっついていた。

雨は止んでも、湿気に満ちた青緑がけなげにもどこか寂しく見えた。

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