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ある哲学者の浮き輪

教養部の哲学教授はフランス身体論の泰斗碩学で、とても偉い人だったことをだいぶあとになって知った。

ガイダンスのいきなりの第一声が「哲学をしても決して生きやすくなるわけではありません。むしろその逆です。でも君たちはいま、"自分の頭で考える"という大海原に放り出されました。溺れそうになったとき、それでも哲学は何もしてくれません。でも思わずつかんだ浮き輪に"哲学"と書いてあったらこれほど素晴らしいことはないでしょう。」

最前列でこれを聴いた私は、なぜかこの先生に魅了され、以来一度も欠席することなく最後まで授業を聴講した。最後の一発試験は「ヴァレリーについて論じよ」とだけ書かれていた。見事に0点を取って落第したが再履修はしなかった。その授業を通じて、それ以上のものを学んだ気がしたからだ。人は生きやすくなるために生きているのではなく、生きている以上たくさんの困難があり、それらから逃げずそれぞれ手にしたもので問題解決に挑んでいくものなのだ、と。

この先生は京大のいわゆる京都学派の一人で、凄惨きわまるある海難事故を新聞記者として取材し、その壮絶さを目の当たりにして、あらためて哲学をやろうと大学に戻った人だった。額に手をかざしながらブツブツ言うその姿は「考える人」そのものだった。

もうずっと果てしない海の中で溺れてはなんとかやってきたつもりである。少しばかり齧った哲学は、やはり何の手も差し伸べてくれなかった。それでも今も先生の本をパラパラめくる。

「君たちは自分の頭で海を泳がねばならない。」

難解な著作の行間にそんな言霊を見つけ、ない頭を振り絞ってアップアップの息継ぎを今もする。

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