見出し画像

絵が"描けない"私が美術史を学んでいる

https://twitter.com/16_akino/status/1274100933048197120?s=19

このツイートを見て、私のどこかがぷつんと切れてしまった気がする。

以下はツイートを見た直後に、私が連投したツイート。


私は大学で美術史専攻して、院に進もうと思ってるけど絵を描くことは"できない"。"描きたくない"じゃなくて。
それは小学生時代に児童画展のために描いた作品を全員分体育館に張り出して親に見に来てもらう、そしてクラスメイトと一緒にどれが良いか悪いか感想を書く(「観賞」の成績としてつく)。
6年間毎年描いたけど苦痛で苦痛で仕方がなかった。サボり魔だったから図工と体育がある曜日はかなり休んだ。

でも中学の美術ではとても褒められて成績も5をもらった。
別に卒業から入学までの間で絵を描いてたわけでもない。なんでこんなに言われることが違うんだって疑問に思った。

高校生になって音楽選択をして絵は描かなくなったけれど、何故か進路に美術史学を選んだ。大学三年の今でもまだ何故美術史学をやろう思ったのか思い出せないけど、多分小学生のときと中学生のときの評価の差を知りたくて、美術を論理的に学ぼうと思ったのかも。
でもやっぱり批評を主とする学問でも「自分で描いてみるのも大事」と言われる。けれどやっぱり"描けない"。小学生のときに自分が描いた絵についてさんざん言われたのがトラウマになってる。
小学生時代はその後の人生に色々な傷跡を残すから、評価されることを目的に絵を描くのはやめたほうがいい。
私だって「絵が描けたらなあ」と思うことはたくさんある。推しがかっこよかったとき、推しがすごかったとき、推しのよさを伝えたいとき…。でも"描く=笑われる"の方程式が小学生のときにできあがってるからもう描けないんだ。「描き続ければ上手くなるよ」じゃない、「描き続けられない」んだよ……。
RTの読んで絵を描くことって私にとってわりと深めのトラウマというか血を流し続ける傷なのだなあと再認識してしまった。しんどい。


美術史は楽しい。

ああ、ここの筆致ははやいな。こんな心情で描いたのかな。
色合いは…、‘‘たのしい’’があふれでてる。きれい。

注目してほしいのはこれね。わかった。よくみてみるね。

そんなふうに、絵と対話してから研究に入る。
絵が語ること、語りかけてくること、聴いてほしいと主張してくること。
それらを聴いて、うんうんと頷いたり、首をかしげたり。
そんな時間が、たのしい。とても。


私は絵が描けない。描きたくない。

だけれど、観るのは好きなのだ。
描けたらいいなと、何度も思ったけれど。

描けない私だからみえるものもあるのかもしれない。
描ける人々の気持ちを推測するのに描けないなんて、とても滑稽だけれど。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?