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なぜつぶやきは炎上するのか?

炎上しやすいSNSと聞いて、どのサービスを思い浮かべますか?

シエンプレ株式会社が発表した「デジタル・クライシス白書2024」によれば、昨年(2023年)の日本国内の炎上発生件数は1,583件でした。炎上事案の発生源として最も多いメディアはX(旧Twitter)で、全体の65%だったそうです。

なぜTwitterでは、炎上が頻繁に起こるのか?

この理由については多く考察されていて、匿名性の強さや拡散の容易さがよく挙げられています。匿名に近ければ責任を感じずに批判をしやすくなることは理解できますし、一度火種が生まれれば簡単にリツイートなどで広められることは炎上化する原因になりうるでしょう。

しかしこれらの理由では、なぜ炎上するツイートとそうならないツイートが存在するのかを説明できません。例えば次のツイートはなぜ炎上しないのでしょうか?

このユーザーをフォローしている人からすれば、あひるさんの普段通りのツイートで、特別燃えそうな気配は感じられないかもしれません。

しかしこのツイート単体で見ると、表現はかなり辛辣です。 そう感じさせないのは、あひるさんがどんな人なのか、どんな話題をよくするか、誰に向けて話しているか知っている、もしくは想像できるからではないでしょうか?


昨年の11月に『〈ツイッター〉にとって美とはなにか』という書籍が出版されました。買収され名称が「X」に変更されることで訪れた「ツイッター時代」の終焉に、哀悼の意を示す意味でつけられたタイトルです。

この書籍では、ツイートを行うことはどんなに小さなつぶやきでも、「話すこと」とは異なり、「書くこと」ならではの難しさを備えていると説いています。

「書くこと」の難しさとはどんなもので、あひるさんのツイートはそれをどう乗り越えているのか?書籍では次のような考え方を紹介しながら、「書くこと」に欠けているものを明らかにしています。

国語学者・時枝誠記はその著書『国語学原論』において、言語活動を「人間の主体的活動」そのものとして捉える「言語過程説」を唱え、その成立のための条件として〈主体〉と〈場面〉と〈素材〉の三つを設定した。

『〈ツイッター〉にとって美とはなにか』大谷能生

ここでの〈主体〉は言葉の話し手のこと、〈場面〉は話の聞き手とその場の状況のこと、〈素材〉は語ることで伝えたいことを指しています。言葉は、誰か(主体)が、誰か(場面)に、何か(素材)について語ることで成立します。

インターネットで読み書きされる言葉のやりとりは、「話すこと」とは違い、書かれるタイミングと読まれるタイミングにズレがあり、言葉を書く時点では聞き手が存在していません。つまり〈場面〉を欠いているのです。
それではツイートをする際、どのように〈場面〉を用意するのかというと、自分自身が聞き手の役を演じるのです。自分が読者だったら理解できるだろうか、と想像しながら言葉を折り重ねていきます。

さらにTwitterの場合、〈主体〉や〈素材〉についてもそろえるのは一苦労です。
「おすすめ」タブを閲覧する場合、フォローしているユーザー以外のツイートも表示されます。その場合、ツイートをしているユーザー(主体)のことをよく知らないまま、ツイートを評価することになります。
またツイートは時系列で表示されず、前後の文脈から切り取られた状態で目にします。ツイートをした人が何(素材)を伝えようとしていたかを、単体の投稿で理解しなければいけません。

改めてあひるさんが、どのように誤解を避けていたかについて、三つの条件から考えてみます。

  1. 主体
    自分の生い立ちと渡米の経緯を固定ツイートで簡潔に説明している

  2. 素材
    アメリカでの暮らし、英語でのコミュニケーション、ぼっちネタなどに度々触れ、それらに対する見解について読み手と共通理解を築いている
    自身のぼっちネタを定着させておいたからこそ、上のツイートでは安全にいじれている

  3. 場面
    聞き手にツイートの受け取り方を用意させておいている
    140字ギリギリのオチのついたツイートを普段から重ねている
    それにより、内容を理解するよりも先に、ツイートが数行に渡っていることを確認した時点で、何か面白いことが伝達されそうだと予感させている

三つの条件を揃えた投稿を続けている人のツイートは、単体の投稿で見ても、誤解の余地が少なく見えます。自分のツイートがどう受け取られるかという〈場面〉を確立していることに対する自信が、初見の読者にも感じ取れること、また理解のある聞き手がリプライを連ねてくれやすいからでもあると思います。

現在のアルゴリズムでは、ツイートの表示回数を増やすにはリプライを多く獲得する必要があり、議論を呼ぶような投稿を行う動機付けがあります。
しかし議論が炎上にまでいたってしまうと、文脈を無視したリプライが飛んできます。 そこではツイートをした人がどんな人なのか、どのような意味合いを込めて発言したのか、どんな文脈での誰に向けての発言なのかは、もはや考慮されません。
そうならないために、誤解なく受け取ってもらえるツイートを続け、良い環境を整え、そしてさらにつぶやきを重ねていかなければなりません。

「つぶやく」という言葉は、辞書では「小声でひとりごとを言う」という意味です。 自分のための気ままなひとりごとは、このSNSにおいては、人にどのように受け止められるかを意識せずには発することができません。

それが他人に何かを指示し伝えるという「他のためにあるという面」と、自分が自分のために確認をおこなう「自分に対してあるという面」とが絡み合って成立するものと考える。

『〈ツイッター〉にとって美とはなにか』大谷能生

Twitterという言語活動は、素直に思いついたことをただつぶやくことではなく、つぶやくべき言葉と自然と思いつく言葉の二つを近づけるように自分を訓練していく過程なのかもしれません。


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