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脳化した人間にとっての、つわりの日々──無力感と神秘の間で【妊娠5~18週】

つわりとは、5週~18週、まるっと3ヶ月のお付き合いだった。

ツイッター、インスタ、アプリ、ユーチューブ、ヤフー知恵袋、ネット記事、漫画。あらゆる媒体で、いつ頃つわりが終わるか何度も見た。


11週ごろには落ち着いてくる、安定期に入ればという情報に希望を持ち、その日を指折り待った。一方で分娩台の上でも吐いていたという人の話を見て、絶望したりもした。

昔の人は、姑のいびりで、つわり中も草刈りや農作業に駆り出され、つわりに効くという草を噛みながら耐え、働いたという話を見て、辛くなった。


「人による」「原因はいまいち解明されていない」のだから、見ても仕方がない情報というのは、わかっていたのだけれど。


こんなに辛いとは聞いてないと、思った。

私よりひどい人はいっぱいいる。
でも、1日の大半は、船酔いをしているかんじ。お腹がすくとより気持ちが悪くなるから食べたくないのに食べるし、食べてもランダムに吐く。夫の同僚と友人に、大量に買ってきてもらったカリカリ梅を、お守りのように持ち歩いて、お腹がすいたら食べていた。

お風呂の水、洗剤、手洗いソープの匂いがだめになった。
お風呂にはいった直後の夫の匂いもだめだった。きれい好きの夫に思わず臭いと言ってしまい、傷ついた顔をされたときは、かわいそうなことをしたと思った。

よくなったかと思って外に出たら、排気ガスの匂いで路上に吐きそうになった。


それが3ヶ月なんて。しかもいつ終わるかはわからないなんて。
はじめての体験だった。

これまで健康だったのもあるけれど、風邪でも生理痛でも、薬を飲んで対処したし、有限だったから。

出産したら終わるものだからと言ったって。赤ちゃんへの影響の懸念があるからと言ったって。

人類のおそらく1/3くらいは、何千年も苦しんできた症状なのだから、もっと研究が進んでいてもいいのではと思った。これも女性の地位が低いことによる影響なのだろうか。


インドの妊婦は、つわりが少ないと読んでインドカレーを食べてみたり(油で気持ち悪くなった気がする)、生姜が良いと読んで食べてみたりした(これは効いた気がする)。

こんな怪しい民間信仰的な対処法しかないの? こんなに皆苦しんでいるのに?

この憤りを文章に残そうと何度も思ったけど、思い出すと気持ち悪くなるので、この文章を書きはじめられたのは、つわりがなくなった19週にはいってからだった。今だって詳細を思い出すと、ぶり返しそうで少しこわい。

幸いちょうど仕事も辞めており、上に子供もいないので、辛かったら寝ていればいい立場ではあった。働いていたら、どうなっていたんだろう。
パソコン画面をスクロールするだけで酔うのだ。立っていつづけるのも辛いから、販売業だったらそれも大変だ。

子供を背負い農作業もしている海外の妊婦さんの写真を見たことある気がするが、あの人たちはとても辛かったのではないかと、今さら思う。

世の妊婦さんは、頑張りすぎなのではないだろうか。

つわり中、手塚治虫の『火の鳥』を読んだ。

いくつかの話で、自らすすんでたくさん出産する女性キャラがでてきて、この人はつわりは大丈夫なのだろうかと思ってしまった。
もちろんつわりがほぼない人はいるし、昔の人は若い頃からたくさん子供を産んだのだろうけど。
巨匠が妊娠経験のある女性だったら、こんな表現をしただろうかと、つい考えてしまう。

そのくらい、すべての妊娠した人、キャラに共感したくなる期間だった。

一時は食事をつくるパワーもなく、ひたすらデリバリーをとっていた(休日は夫がつくってくれた)。
お新香巻きばかり食べていたときは、和食が多く、現地の食事もさっぱりしたものがあるホーチミン駐在であることを、心底感謝した。

西洋料理は好きなほうだったのだけど、イタリア旅行中につわりがスタートしたこともあってか、西洋料理の油を受けつけなくなっていた。

イタリアにいる間、イタリアのあと訪ねる予定だったスイスにいる弟夫婦へのお土産(妊娠により急遽行くのをキャンセルした)で買っていた、ブンというベトナム麺を夫が調理してくれて、その素朴な味に、心底ほっとした。

イタリアの田舎で暮らす日本人妊婦さんが、りんごしか食べられるものがなかったというブログを読んで、それはなんとお辛い……と思った。

なんの義務もなく、食環境に恵まれたホーチミン生活なので、3ヶ月は大半寝て過ごした。
途中、なにかしようとしては、気持ち悪くなるという悪あがきを、何度もはさみながら。

時間ができたししようと思っていたアジア旅ができないとことがわかったので、日本にいるときに辞めていたオンラインの脚本ゼミにあらためて入った。
絨毯をつくる教室や、刺繍の教室に行ってみたりした。ウクレレも弾いてみた。
妊娠中の友達が言っていたのを思い出し、キッチンに椅子を持っていって料理をした。

今思えば、体調は明らかに悪いのだし、なんの義務もないのだから、ゆっくりしていればいいのに。
脚本ゼミでも、誰よりも時間があるのだから、たくさん書きたいと気が急いていた。

今私は、人類がするなかで最も生産性の高い行為をしているのだ。
一人の人間が、お腹のなかですごいスピードで成長していて、そのために自分の身体の機能を捧げているのだから。

そう自分に何度も言い聞かせた。

それでも、お腹のなかで事は勝手に進んでいくし、リアルの世界では寝てばかりだ。生産性がない気がして、どうしても焦ってしまった。

養老孟司さんの言うところの「脳化」をしすぎているのだなと思った。
自分の意志や思考でコントロールできないことに、どうにも耐えられない。

妊娠というのは、つわりにかぎらず、否応なく身体が変化する。
こんなの思春期以来だし、インパクトでいったら、人生最大な気がする。

そこで、自覚する。
自分はいち生き物で、子孫を残すという生き物にとっての最大ミッションを前にすれば、単なる媒介なのだと。
ダメージがどんなにあろうと、子孫を残すというミッションを遂行するようプログラムされている。だから、不合理に思える不調だらけなのだ。

妊娠は生命の神秘だと、よく言われる。
とても感動的なことであるという文脈で。

「この神秘に感謝し、つわりを我慢するべし」「母は強いのだから」というニュアンスの文章も、日々のつわり検索で何度も見た。

私はこの言説が大嫌いだ。
前時代的な女性に我慢を強いる文化、しかもそれを女性たち自身が内面化している文化のあらわれに感じるから。

それでも、妊娠は生命の神秘だと思う。

今、一人の新しい人間が生まれるということは、この上なく楽しみだ。
こんなに楽しみなのは、5歳のクリスマス以来かもしれない。

どんな子供に会えるだろうか。どんなにかわいいだろうか。
どんなふうに話をして、成長するのだろう。
元々、特別子供好きなタイプではないので、このうきうきは本能なのかなと思う。

この喜びと、自分は媒介なのだという無力感が、まざったところに、私は神秘を感じている。

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