見出し画像

旅先で服を買うということ━━刺繍のブラウス in 2010年ブダペスト/2023年ハノイ

気づけば13年間、一軍として着ていた服がある。ハンガリーの首都ブダペストの市場の2階で買った、刺繍のブラウスだ。

それは女友達と2人で行った大学の卒業旅行で、私たちははじめて見る東欧のデザインに、はしゃいでいた。少しずつ形と色の異なるブラウスに、一つひとつ違う花や葉の刺繍。

さんざん迷って、紫色の布地に紫色の花と黄緑の葉のものと、水色の布地に白い花と青い葉の刺繍のものの2枚を選んだ。



ブラウス売り場の奥にあった立ち飲み屋では、おじいさんが朝から嬉しそうに、顔を赤らめながら、果実酒のショットと小さなパンを食べていた。
あまりに楽しそうだったから、友人と真似をした。果実酒のアルコール度数は高く、身体があたたかくなる。
アルコールの味に塩気の多いパンもよく合って、たしかにとても楽しい気分になった。

そのあと立ち寄った地下温泉では、ピアニストの日本人女性に話しかけられて、夕食を奢ってもらった。彼女は元恋人の愚痴をずっとこぼしていて、20歳そこそこの友人と私は、ふんふんと神妙に聞いた。


「不思議な時間だったね」と話しながら、夜遅く帰ったホテルで、市場で買ったものをベッドに並べて写真を撮った。お菓子や雑貨に混ざって、花の刺繍はつやつやと光っていた。



伝統的な刺繍だからだろうか。当時はただ可愛いからと選んだそのブラウスは、想像以上につくりがしっかりしていた。どんなに洗濯しても刺繍が崩れない。そして、あまり皺がよらないし、風通しもいい。



だからか、この13年の写真を見返すと、特に旅先でよく着ている。静岡の海辺で、トルコの遺跡で、タイの市場で……一人旅で旅先の人に撮ってもらった写真もあるし、友人とポーズを撮った写真、飼い犬と寄り添っている写真もある。
22歳から35歳まで、少しずつ歳をとり、行く場所や共にいる人(や犬)が変わった私が、同じ刺繍のトップスを着ている。

22歳、プーケット(mixi時代)


27歳、カッパドキア(人生で一番疲れていた頃)
35歳、ハノイ(これは最近)


この13年の間、たくさんの服を買った。13年前は、ちょうどファストファッションが、日本で本格的に流行りだした頃だった。
最新のトレンドに沿った服を、気軽に楽しめる。若い私にとって、それはとてもわくわくすることだった。

挑戦したけれど思ったより似合わなくて、あまり着ずに手放した服もあった。歳を重ねて、着る頻度が少なくなっていたものもある。気に入っていたけれど、毛玉や皺で着ることができなくなった服もあった。たくさん。


だから、このハンガリー刺繍のトップスは、少し特別な存在だ。
耐久性はもちろん、民族衣装的な雰囲気があるからか、流行りや年齢にあまり左右されないのが、よかったらしい。

着るとなんとなく、市場で果実酒を飲んでいたおじさんや、元恋人の愚痴を話すピアニストの女性を思い出す。そういう旅の思い出に、もしかしたら私は毎回少しずつ嬉しい気持ちになっていたかもしれない。



今年から、ベトナムに住みはじめた。ベトナムもまた、刺繍のさかんな国だ。市場や土産物屋にもあるし、刺繍専門のリネンや洋服の店も多い。


土産物屋の刺繍はだいたい似たようなテイストなのだけれど、ハノイのオールドシティでふらっと立ち寄った店は、他の店とは一風違った。オーダーメイドのアオザイやシャツを扱う店で、どの服の刺繍もダイナミックで大きく、原色の糸が大胆に組み合わさっている。




濃緑と黄色のポップな格子の布地に、孔雀が胸元から腰あたりにかけて長い尾を垂らすアオザイ。
紺地に赤い鳳凰が立ち襟を囲むように、身体をくねらせたアオザイ。

特にこの2つの力強い鳥の刺繍に、惹かれた。
何度も見ていると、店のオーナーらしきに人に試着をするといいとすすめられる。着てみると、胸元で大きな鳥が鎮座して、より惚れ惚れとする。


「孔雀より鳳凰のやつのほうが、似合う。きれいきれい」

私の前に試着し、そのあと店の端に座っておしゃべりしていた中年女性(どういう立場の人なのかは、最後までわからなかった)にベトナム語でそう言われて、すっかり欲しくなってしまった。


値段を聞くと、日本円にして孔雀は8万円、鳳凰は6万円程。さすがに高い……それにこんなに豪勢なアオザイ、まったく着ていくのに相応しいイベントの予定がない。


「この鳳凰をシャツにしたら、いくらくらいになりますかね?」
オーナーに聞いてみると、意外と18,000円程だという。ハンドメイドでこの大きな刺繍なら、払える金額だ。


ふと鏡を見ると、その日も13年前にハンガリーで買った刺繍のブラウスを着ていた。きっとこの鳳凰も、長い付き合いになるだろうと思えた。


購入を決めると、店主の男性がさらさらとシャツにした場合のデッサンを描き、身体のサイズを測る。丈の長さの希望を確認される。自分のためだけのデザインと思うと、嬉しい。着るたびに、この時間もほんのり思い出すだろうか。


1週間後、完成した鳳凰が家に届いた。家で見ると、真っ赤な鳳凰はなかなか派手だ。これに見合う貫禄のある人になろう。きっと白髪になっても、着ることになるだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?