見出し画像

バトンをつなぐ旅。

10月ももう後半。
夫は当たり前のように毎日出勤するようになり、私もぼちぼち仕事が動き出して、外出する機会も増え、少しずつ以前のような生活に戻りつつあります。
いや、本当はまだ完全には戻っていないのだけれど、よくなっていくんじゃないか、と感じられることが、うれしいんだろうな。

そんな気持ちになれた大きなきっかけが、9月の旅だったように思う。

会いに行く旅、と書いたのだけれど、どこに行くか、よりも誰に会うか、が重要だった。

料理学校時代の同級生や、親戚、両親もそうなのだけど、今回会った人々の中で、3人、リレーするようにお会いした方々がいる。

ひとりは、noteでも紹介したトリイソースの鳥居さん。鳥居さんとは今年1月に小豆島のヤマロク醤油の「木桶による発酵文化サミット」でお会いしたのだけど、この鳥居さん、私の大学時代のサークルの後輩Kくんとかつて同じ会社、しかも同じヨット部だった、という関係。

Kくんは現在、名古屋在住。「今回、鳥居さんとこ、見学させてもらえることになったよ」と報告し、「夕方レンタカーを名古屋で返却して、京都に移動します」と知らせたら、「せっかくだから会いましょう」と。
こちらとしては、急な事だし、連休中でご家族との予定もあるだろうし、会社でまだ会食も禁止されているのでは、という心配もあったのだけど。

彼が連れて行ってくれたのは、柳橋市場の中にある天ぷらとワインのお店。
取り壊しになってしまった那覇の牧志公設市場のような昔ながらの市場の奥に、恵比寿横丁のような飲食のカウンター。まだ5時台だというのに、予約客でいっぱい!
アスパラガスや鱧、鱗パリパリの甘鯛、蓮根フォアグラや海苔にイクラなど、定番からちょっと変わった組み合わせまでいろいろ。人気なのも納得。

料理の仕事をしている私を連れて行く、という事で、いろいろ考えてくれたようで。気を遣わせて悪いなあ、と思いつつ、ありがたくもあり。

画像1


久しぶりやね、とスパークリングワインで、共通の友人であるIくんに献杯した。



Iくんからステージ4のがんで転移もしている、と電話がかかってきたのは2年前の5月の週末だった。朝早い電話にまず驚き、その内容にもっと驚き。
気楽に、治るよ、なんて言えない切実さが伝わってきた。

ちょうど1週間後に、彼が住む京都に行くことになっていたので、もし、よかったら会わない?と。
料理教室の旅行で宮津に向かう、生徒さんとの待ち合わせの前の1時間ほど。
Iくんと奥様は、1週間前の電話口での涙はどこにも見当たらず、爽やかな笑顔で現れた。
経営していた会社を従業員ごと引き継いでくれる人が見つかったので、これからは治療に専念する、これまで仕事ばかりだったから、二人の時間も大切にしたい、と話し、なんて声をかけたらいいか、と悩んでいた私たち夫婦が拍子抜けするような、穏やかな表情だった。

その時に、お願いがある、と頼まれたのがKくんに連絡を取ること。
謝りたいことがあるねん、と。
もちろん、おやすいご用と引き受け、他に会いたい人は?と聞いたのだけど、おらん、の一点張り。私から見ると、他にも仲良くしていた人がいただろうと思うのだけれど、Kくんだけでいいと言う。

それから……Kくんと私は、Iくんに会いに行くようになった。
それぞれ、帰省のタイミングや、関西に行く機会がある時に京都に立ち寄るようにして。

私の場合は、Iくんと奥様と3人だったり、うちの夫も交えて4人だったり。
天ぷら食べたり、貝を食べたり、新しいおうちに案内してもらったり、病気がわかる前に注文していたというスポーツカーに乗せてもらったり。
「がんに響く感じがするねん」と、それからしばらくしてその車は手放したようだけれど、食欲は旺盛だった。
「ほんまに病人なん?!」って言いたくなるぐらい、よく食べ、よく食べ。
Iくんはもともとお酒を飲まない人で、彼以外はみんな飲む人で。
だから、一緒に食べても、誰よりもぱくぱく。食べ終わるのも早い、早い。
甘いものも好きやったなあ。

糖質をなるべく避けて、お米は玄米、という食生活をしていた時は「玄米、好きちゃうねん。白い米、食べたい」なんてぼやいていたっけ。

去年の5月には、滋賀の余呉湖まで、1泊旅行にも出かけた。
変わったものは食べない、と聞いていたので「鮒鮓とかクマの肉とかが名物やけど、大丈夫なん?」と念を押したけど、その時も、日本酒をちびちび飲みながら食べる私たちを尻目に、もりもり食べていた。

翌日はしっかり朝ごはんを食べたのに、ランチのレストランに着くまで我慢できず、運転しながら、木之本で買ったサラダパンも食べていた!

腹減った、と言いながら到着した南草津のお肉が美味しいレストランでは、タルタルやシャルキュトリーをつまみに、ちんたらワインを飲んでる私たちに少しイラついた様子で「はよ、肉食いたい」と子供のように訴えていた。
お肉が登場した時には、勇んで手を伸ばしていたなあ。

画像2


痩せてもいない。元気で食欲もあるように見えるから、病気だ、ということを忘れそうになる。
はっきりとは聞いていなかったけれど、告知された残された日々はもうとっくに越していたはずだ。
ラッキーなことに治療や薬が合ったみたいです、と奥様は話していたけれど、彼女が調べに調べ、手を尽くして、最高の医療を受けられるよう、走り回っていたのだ。

9月末に仕事で滋賀に行くことになり、京都で会う約束をしたのだけれど、黄疸が出て入院になった、と直前に連絡があり、約束は流れた。

亡くなった、と奥様のNさんから連絡をもらったのは2月だった。
翌日のお通夜、私は酒友との長野の酒蔵見学の予定を少し変更して、京都に向かった。
「みんなに来てもらいやすいから」と本人が選んだという斎場は、京都駅からすぐ。早めに来てもらってもいいですよ、というNさんのお言葉に甘えて、お通夜の前にお別れをさせてもらった。
彼は棺に収まっていた。面やつれもなく、しかもとってもお洒落だった。
気に入っていた服を着せた、と。まるで眠っているようだった。



2週間もすると、コロナで身動きが取れなくなってしまった。SNSでつながっているNさんの様子は、なんとなく伝わってくる。元気に過ごしているようだけれど、やっぱり心配で。

京都に寄ろうと思うのだけど、よかったらランチでもご一緒にいかがですか?と連絡したところ、ぜひ、とお返事をもらい、お会いすることになった。

彼女が選んでくれたのは、美術館の近くにある素敵なビストロだった。
ワインショップのオーナーが、自分のお客様をもてなすために作ったお店。

もちろん、ワインで献杯。

画像5

自然派のワインに合うお料理は、素材をいかしたシンプルなものなのだけれど、スパイスの使い方や素材の組み合わせ方にセンスを感じる。

画像4


奥様へと名古屋のKくんからお預かりした三河のみりんをお渡しして。
Kくんの話などもして、去年の滋賀旅行のことを思い出したり。
最近の彼女の生活や、仕事のことなどをお聞きして。

スープとメインを盛り込んだワンプレートのランチなのに、話が弾んで、もちろんお料理もワインも美味しくて、昼間っから4杯も飲んでしまった。
「あー、また飲んでる」と言うIくんの声が聞こえてきそう、って笑った。

鳥居さん → Kくん → Iくん&Nさん。
今回の旅で、私の心の中で勝手にバトンを繋いだリレー。

「ざわざわ」から「ほわほわ」、そして、前を向いてしっかり生きよう、と「しゃきっ」とさせてくれた旅でした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?