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内田樹の『日本習合論』読了。

ひっさびさに読みました内田樹。10年以上前に私はすっかりタツラーであった。その前はカツマー。ヤストミラーもあるらしい。作家読みするタイプです。

といっても内田樹さんの本大量に出すぎてて全部は読んでないのですが、10数年前に読んだとき、「『生きる力』に関していつも書いているひとだな」と思っていた。今回の本もあいかわらずなかんじ。

最初のほう、アジールという概念についての説明が良かった。

アジールあるいはアサイラム(独: Asyl、仏: asile、英: asylum)は、歴史的・社会的な概念で、「聖域」「自由領域」「避難所」「無縁所」などとも呼ばれる特殊なエリアのことを意味する。ギリシア語の「ἄσυλον(侵すことのできない、神聖な場所の意)」を語源とする。具体的には、おおむね「統治権力が及ばない地域」ということになる。現代の法制度の中で近いものを探せば在外公館の内部など「治外法権(が認められた場所)」のようなものである。(wikiから引用)

私が舅から畑を引き継いだのは、アジールみたいな場所を作りたかったからだ。親類がどうにも行く場所が無くなったときに来ていい場所で、「ひとまずここがあるから身ぐるみはがされてもなんとか生きていける」という避難所を作りたかった。前近代の大家族制度的な民間のセーフティネット。姪甥含めた子供たちのために作るのだ。そのためには私が健康で長く働けるようでなければいけない。ひとまず野菜はあるから食え。みたいなかんじで。

生きる力は資本主義社会だと稼ぐ力のことだったんだけど、それは狭義であって、本当はもっと大きなものだ。実家が太い、地縁がしっかりしてる、もともと体が強い、などなど、昔ながらのものに加えて、最近だとインフルエンサーのフォロワーの数とかもそうだろう。

稼ぐにしたって、我々団塊ジュニア世代の女性は「自分が一生働き続ける」マインドセットにすらなっていなかったので、それこそが難しい。20年前はその手の話は日経WOMANとかでよくされてたんだけど、いつのまにやら女性も一生働くのが普通になってしまった。我々の年代以上の女性は、ただ働くだけのことが難しいんだ。若い女性や男性は、ただ働くだけじゃん、と思うかもしれないけど、私たちは社会的に、そして文化的に働くことが普通ではなかったから。社会的な振る舞いがなかなかわかんないのよね。訓練もされていないし、訓練される場所もなかった。勝間和代さんはその辺を可視化させて対策こうじたからたいした人だと思うのですよ。

と、話はずれたけど、そんなかんじで目に見えないし数値で測れないし稼げもしないんだけど、広義の生きる力もろもろの話をいつもしているから内田樹は読んだほうがいいと思うよ。そういうのに興味があるのならば。

ただ後半部はちょっと違和感があるところ。内田さんもともと上流階級出身で、貧困格差が見えないまま文化論語るところがある。こんだけ新自由主義でありえないほど貧困格差ひろがって、という話を世間様でわいわいしているときに、なんでその辺いつもかたくなに見ないで文化は混ざったほうがいい、みたいな話になるのがちょっと不思議。や、習合したほうがアイデアは浮かぶのかもしらんけど。良いことだけじゃないんでは。

私が歳をとったからそう見えるのかも。


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