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生み出す側にいたいという想い。

何のために書くのか。
どうして書きたいと思うのか。

「書くことが好き」という側面からは違う角度で考えてみた。

結論から言うと、「生み出す側にいたい」という気持ちがあるからだと思った。 


普段生きている中で、消費していることの方が圧倒的に多い。

消費とは。
・使ってなくすこと。金銭・物質・エネルギー・時間などについていう。
・人が欲望を満たすために、財貨・サービスを使うこと。

使ってはなくし、使ってはなくしながら生きている。それは、生きていくために必要不可欠なことではある。

でも、誰かが消費するために、誰かが生産している。生産する人がいなければ、消費はできない。(もちろん、消費する人がいるから、生産する人の生活も成り立っているのだけれど)

この「生産する」「生み出す」という行為に、そもそも憧れや尊敬の気持ちがあるのだ。

0から1を作ることの大変さ、難しさ。私はこれに苦手意識がある。
0→1と、1→5は別物で、比べようがないけれど、0→1ができる人に無条件に憧れを持ってしまうことは事実である。


書くという行為は、0→1の仲間だ。

noteという巨大なプラットフォームの端っこで、毎日粛々と書いていること。それが何を生み出しているんだと笑われてしまうかもしれないけど、生み出していることは、生み出している。


真っ白なページに。0から言葉を綴って。
タイトルをつければ、世界に一つしかないコンテンツのできあがり。

ビュー数が少なくても、リアクションが少なくても、0から作ったという事実はそこにある。

自分が何かを生み出す側になれていることが嬉しくて、書きたいと思うのかもしれない。
嬉しいというよりも、どうにかしがみつきたい、消費するだけにとどまりたくない、という切実な想いの方が近いかな。

そう考えると、生み出すことに苦手意識がありつつ、やっぱり生み出す人になりたいという想いが強いことに気がつく。


弱小コンテンツだったとしても、何かを生み出していることには誇りをもって、これからも書き続けたい。


ここからは余談。

書くことが生産なら、読むことは消費にあたるが、読むことは本当に消費なのだろうか。なんだかしっくりこない。

これは別の機会に、また考えてみよう。






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