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糸をつむぐように、人間関係をつくる。

友達の定義って難しい。

自分にとってどこまでは「友達」で、どこからは「知人」になるのか。関係性に名前をつけることに、難しさを感じる場合がある。

関係性が明確な人もいれば、曖昧の人もいる。SNSの関係性は、特に定義が難しい。友達…?とよぶにはおこがましいような。でも知人というと、距離がありすぎるように感じる人もいる。

そもそも、あるカテゴリーで分類する必要はあるのか。
そうしたところで、何かメリットはあるのか。

「○○さんは会社の上司の…」と、誰かに対してその人との関係性を説明する場合は、必要かもしれない。でも「自分」と「その人」という一対一の関係性において、どんな名前をつけるのかは重要じゃないように思う。

以前、美容師さんとのエピソードを書いたことがある。

美容師さんも「名前をつけにくい関係性の人」のひとりだ。曖昧な関係だけど、数ヶ月に一度髪を切る際、たわいもないおしゃべりができることは、私にとって居心地がよかったりする。

関係性を「糸」にたとえてみる。

その人との関係性にどんな名前をつけるかより、その人へとつながる「糸」の太さや頑丈さ、耐久性などの方が大切であるように思う。

細いと、何かの拍子にすぐに切れてしまうかもしれない。太くても脆ければ、同じく切れてしまう可能性はある。

たとえば家族や親戚。
「血のつながり」があるのは強い。だから糸は太そうに見える。
でもその密度は、人それぞれだったりする。

逆もある。
一見細く見えるけど実は頑丈、しなやかな糸もあるかもしれない。

糸の太さや頑丈さが何によって決まるのかは、あくまで自分の主観だ。自分と相手の認識もまた、同じではないだろう。相手との関係性のとらえ方は、人により異なる。

自分はまわりの人と、どんな糸でつながっていたいのか。
どのように糸を紡いでいきたいのか。

数は多くなくてもいいけれど、一本一本は強くてしなやか。そんな糸で、人とつながっていたい。
増やしていくときは一本一本、じっくりと紡いでいきたい。

誰かとの関係性は、自分がピンチのときの支えになりうる。バタッと倒れてしまう前に、地面との間でふわっと支えてくれるような、ネット(網)のような役割。

そういう”セーフティネット”を、一人ひとりがもてているといいんだろうな、と思う。

心地良いと感じるネットは、それぞれ違うだろう。だから自分にとって心地良い、ピンチのときに自分を助けてくれるようなネットを作っていけるよう、関係性の糸をつむいでいけるといい。

今の仕事において、私は子どもにとって「ゆっこ」という個人。親でも先生でもシッターでもなく、名前がつけにくい関係性のひとりだ。

子どもがこれから紡いでいく糸の、一本になれたらうれしい。その子のセーフティーネットの一部になって、支えられる可能性が広がるなら。

ただ、セーフティーネットの一部になるのは、絶対に私である必要はないと思ってる。子どもが誰かと出会う機会が多ければ多いほど、糸を紡げる可能性は高まる。

だから私は、そういった出会いの機会を創り続けたいと思う。


誰かが誰かのセーフティーネットになる。
そんな循環が生まれれば、救われたり、幸せになる人もまた増えてゆくのかもしれない。


そんなわけで、今日はここまで。



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