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風吹けど、つかまえて

時間は一定の速度で進む。絶えず進む。
その淀みない流れに、背を押されるように歩いている。

でも本当はほしかったんだ。
歩いた場所にそっと、しるしを置く時間が。

最近、ちょっぴり疲れていた。

屋外の仕事つづきで体力的な疲れもあるが、どちらかというと気持ちや心の疲れ。たとえば吸収がしにくい。アクティブになれない。休んだほうがいいかな。でもどうリフレッシュしようかな。

テレビを消しspotifyをかける。noteのエディター画面を開く。白紙を見ながら頭の中をぐるぐるさせる。あんなことあったな。こんなことあったな。また頭をぐるぐるさせる。書くほどにはまとまらない。でも不思議なことに、少し疲れが和らいだ気がした。

立ち止まりたかったのかもしれない。

立ち止まって、考えたり感じたり味わったりすることを、たぶん気持ちが求めていた。

「明日が来るまえに」というnoteにも書いたけれど、私は書くときに「思い返す」という作業をしている。過ぎゆく時間の中に、大切なこと、忘れたくないことは本当になかっただろうか。よりよい未来へつながるヒントが、落っこちていなかっただろうか。そんなことを思い返している。

この「思い返す」という時間が、立ち止まる時間だ。思い返しながら立ち止まる。立ち止まって、思い返す。

この時間がないと流れていく。自分が考えたこと、感じたこと、味わったことが。手の届きにくいところへ行ってしまう。宙に漂いつかもうとしてもつかめない。また風が吹けばひゅるりとどこかへ飛んでいく。そしてついには手が届かないところへ。

あったことがなかったことになる。

この状態がたぶん思った以上にストレスで、不安なんだ。

きっと書かなくても、立ち止まって思い返す時間があればいいのだ。でもせっかく立ち止まって思い返すなら、残しておきたいと私は思う。残したものに、いつかの自分が励まされたり、ほっとしたりする日が来るのだから。


よし、今日はしるしを置けた。
置いたしるしが、どんな軌跡になるのかな。




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