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明日が来るまえに

今日も文章を書く。
流れゆく時間を少し、ゆるやかにするために。


書き始めるのはだいたい20時~22時の間。その時間が近づくとムズムズしはじめる。何かやってないよ、忘れてるよと誰かに言われてるような、このままでは一日が終われないような、そんな感覚。

今日は21時半過ぎに「新規記事作成」の画面を立ち上げた。まっしろい画面を目の前に、今日は何を書こうかなと考える。

この考えている時間、脳内で起きていることに意識を向けてみた。私の頭の中。どのような動きをしてるんだろう。

さっきまで参加してた講座のこと。昨日読んですごくおもしろかったnoteのこと。日曜日の対話で深く潜れたこと。土曜日に海外へ越した子どもとオンラインで会えたこと。

…と、ざっくり書くとここ3~4日くらいのできごと、それに付随する感情、思考を思い返しているらしいことがわかった。

思い返す中で感情の振れ幅が大きかったり、なぜだろうと立ち止まり考えてしまうことを一応の「題材」にしているようだ。「一応の」と書いたのは「こういう題材で書こう」と明確に決めているわけじゃなく、キーワードをもとに書き進めていったら、題材ぽいことがはっきりしてくる場合もあるからだ。


こうやって思い返して書き始めても、うまく文章としての形を帯びないこともある。はたまた見た目は一応文章としての形は帯びているけれど、ふわっと、まるっと、核がないような文章になることもある。これもまた、トレーニングなんだろうけど。

ただね、気がついたことがある。「文章」という形になるかならないかの前に「過去を思い返す」時間そのものが大切なんじゃないかって。

今日はどんなことがあったかな、昨日はああだったな、そのまえは…って。明日が来るまえにほんの少し立ち止まって、過ぎゆく時間をつかまえる時間は、とても豊かで。

過去は戻らない。だからこそいいときもある。過去はどうあれ、今この瞬間に未来への可能性はいつも0に戻っているのだから。

でも過ぎゆく時間の中に、大切なこと、忘れたくないことは本当になかっただろうか。よりよい未来へつながるヒントが、落っこちていなかっただろうか。

時間という川の流れは止められない。でも「書くために思い返す」という行為によって、その流れを少しゆるやかにすることはできる。

そして運よくいけば、流れる川の底に沈むきれいな石を拾い上げられるかもしれない。そうして集めた石をきゅっきゅっと磨いていけば、かけがえのない自分だけの宝物になる。


書けなくても、思い返すことが豊かな時間。
明日が来るまえに、過去を少しだけつかまえる。




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