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結び目が生まれる瞬間

マンションの玄関を出て左へ少し歩く。工事現場前に、青い服、ヘルメットで、メガネをかけたおじさんが立っているのが見える。「あ、今日もいる。」そう思う心の中は、少しだけあたたかい。


その場所で工事が始まったのは3〜4ヶ月ほど前だったか。もしくはもっと前だったか。正確には覚えていないけれど、季節が1〜2つ過ぎたのは記憶している。

そのおじさんは付近の安全管理をする警備員なのだろう。通行人の交通整理をしたり、高所で工事をする時間帯は少し離れて通るよう誘導したりしている。私は、駅や職場へ向かうにはその場所を必ず通ることになる。

工事が始まって間もない頃は、おじさんが道行く人に声をかける中に紛れて通り過ぎる感じだった。会釈をするか、しないかくらい。それが普通で、気に留めることもなかった。

あるとき。いつものように通り過ぎようとしたとき、おじさんが「いってらっしゃい」と声をかけてくれた。

びっくりした。自分に対して言ってくれたのかどうかも半信半疑で、わずかに振り返り会釈をしつつ「行ってきます」と小さな声しか出せなかった。その声もたぶん、マスクの中でかき消されてしまっていただろう。

「私」を認識してくれたのかな。
覚えてくれたのかな。

そう思うと、嬉しさより気恥ずかしさが勝った。その場所を通ることに少しだけハードルを感じてしまい、遠回りしたこともある。自意識過剰な自分が、とてもおかしくて笑えた。

新しく人とのつながりが生まれそうなとき。ワクワクや楽しみな気持ちよりも怖さや恥ずかしさのほうが勝る。つながりが生まれた後の喜びも知っているのに、つながるか、つながれないか、ぎりぎりの所ではいつも、自分の殻へ閉じこもろうとする。

けれどやめた。殻へ閉じこもろうとするのは。

そう思えたのはやはり、つながりが生まれた後の喜びをくれた人たちのおかげなのだと思う。

あるとき。おじさんの前を通って、顔を見て、「おはようございます」と声をかけてみた。するとおじさんも私の顔を見て「おはようございます。いってらっしゃい」と元気な笑顔で返してくれた。その瞬間、じんわりしたあたたかさが自分の中に広がった。

その後通る際はいつもあいさつをし、そのたびおじさんに認識していってもらえたのだろう。だいぶスムーズにあいさつできるようになった。


最近のこと。いつものように「おはようございます」とあいさつをした後、「あの、」とおじさんに話しかけられた。

「今日のような天気って、何と言うか知ってますか?」

その日の天気は快晴。気持ちのよい青空にほんの少しだけ白い雲が浮かぶ。ボケたほうがいいのか、気の利いたことを言った方がいいのか。そう考えても結局頭の中はまじめに働き、「うーんと、秋晴れ…ですかね?」と、月並みなことしか言えなかった。

するとおじさんは、

「日本晴れです!」

と、わはははと満面の笑顔で答えた。
その笑顔につられて、一緒に笑った。


お互いに名前も知らないし、その場所を通るときにあいさつするだけの関係性。それでも、通り過ぎがてら会釈していたころよりも、「関係性ができた」と感じられた。

その関係性は、とてもとても小さな結び目かもしれない。工事が終わったら、その結び目はなくなってしまうだろう。けれど誰かと一瞬でもつながった結び目は、会えなくなっても心の中からは消えない。おじさんとあいさつしたこと、天気の話をしたこと、きっとこれからも残り続ける。大切な記憶となり、ふと思い出したときに心をあたためてくれるのだろう。


おじさん、きっかけをくれてありがとう。

明日もまた、あいさつさせてください。




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